1987年12月9日(木) カジュラホ―にて

〈in the morning〉

 

 昨晩はカジュラホーのサンセットビューホテルに入る。8時過ぎて床を出て顔を洗い、ノートと本を持って寺院群の前にあるレストランの2階のテラスに居心地のよいテーブルをみつける。まだ以前の生活のペースを取り戻していない。ドミトリーのせいもあるが就寝は11時頃。日の出の時間はベッドの中であった。

 

画像検索より
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 10日間の仏蹟巡拝ツアーが事故もなく全員無事にデリーを発ち、まずは一安心。たくさんのお土産と写真で母をはじめ皆さんもよい思い出ができたことでしょう。一緒に旅をするということは、また共通の体験を持つことで素晴らしい。お互いに助け合ったり、ゆずり合ったり、少々不満を感じたり。でも、そんなことを含めて1つのよき想い出となる。

 

 僕は、最初やはり1ヶ月の1人旅の後に合流したので、少々ギャップがあり当惑を憶えた。とかく細かい事に口出ししたくなる自分がいた。荷物の多さにビックリ。ライターやボールペンがどっさり。旅行用の味噌汁やごはん等、いいホテルに泊まるのに山ほどある。たとえ10日間それらを食べなくても死にはしないのに…とは貧乏旅行者の発想。でも立場を逆にして自分を当てはめれば、同じようにするだろうと思う。すべて普通なのです。

 

 デリーで泊まったメリディエンホテルはコンノートのすぐそばの高級ホテル。ロビーや中央の吹き抜けのつくりは日本の帝国ホテルよりも立派な感じ。ここもまたインドなのである。インド人の上流階級の家族連れやカップルなどでホテルのレストランは混んでいる。決して海外旅行者のためのものではないのだ。

 

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 そんなハードな旅行を終え空港で皆さんを見送り、バスでホテルまで戻り、アショカさんのマイカー(スズキマルチ・12万ルピー)で10キロ程北の自宅に行ったわけである。1人でゆっくりベッドに横になりたいという願望が根強くあり、それをぬぐいさり現状を受け入れるまでに至らなかった。そのことが少々居心地を悪くしたかもしれない。しかし、2日目はベティもなれてくれ、今度は1日子供の相手となった。

 

 3日目で再び下痢をおこし、病院まで連れて行ってもらい薬をもらう。さすがにその薬はすぐ効き、翌日は体調もよくなった。これは今思えばありがたいことである。単に日本を抜け出し、会社の休日で来ているのなら好いかも知れないが、僕の目的はインドをぐるりと回っていろんなことに出逢うこと。それ以上の滞在は自分が望まなかった。

 

 カジュラホーは静かな村、彫刻で有名な寺院群が並び、村の人々も他の観光地に比べ温和なものを感じる。8月には日本の美術の学生が、夏休みを利用してたくさん訪れるらしい。特に美術彫刻に興味があるわけではないので噂に聞いた有名な像をみて、こんなものかと別に落胆するわけでもなし感激するわけでもなし、あるがままである。

 

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