1988年1月19日(火) カルカッタ 帰国の日

インド・チャイ画像検索より
インド・チャイ画像検索より

 今朝はフッと目覚め腕時計を見ると丁度6時。ベッドの上で深呼吸をしてからブリッジをしてウォーミングアップ、フランス人のおばあちゃんも起きだしたところ。顔を洗い、ホテルの人間はまだ寝ているが、入口にいる男がくぐり戸のカギを開けてくれ散歩にでる。もう街は動き出しておりタバコ屋や茶店はあいている。

 

 昨日チャクラバティー氏とチャーイを飲んだ小路の壁際にできている「窓店」のようなところでベンチに腰掛けチャーイを飲む。そうやって街の人々がモーニング・チャーイをとっている。ゆっくり最期のカルカッタの朝を満喫していると、ジーンズのジャンパーにルンギー、そして頭に布を巻いた若い男が「コンニチワ」と声をかけ、手に白い菓子のようなものを持ち、「オテラカラ」と言って食べろという。

 

 断って見ていると、まわりの人たちや子供にも配り出し、皆受けとって食べている。彼は街でいつも声をかけてくる「ガンジャ、ハッシッシ、ダラーチェンジ、ナニカウルモノナイ」の男の一人なのであるが、今日の気分は別に煩わしくもない。それというのも彼はかなり眠たそうな顔をし、フラフラと歩いては隣に座るのである。

 

 「ガンジャ(大麻)でも吸っているのか?」と聞くと、お寺に夜行っていたのだと言う。そして一睡もしていない。でも今日も仕事をするのだと、半分眠ってやや下向きかげんに、こちらも見ずに答える。質問してもいいかと断ってから一日に何人ぐらいと仕事が出来るかと聞いてみる。「10人の日もあるし、1人もいない日もある。でも毎日この通りで声をかけているのだ」と、やはり眠そうにコクコクしながら答える。そしてそのまま自分の話を始める。

 

 「僕には息子がいる」(彼の歳は22だそうだ)「そして妻と一緒に12キロ離れた村に住んでいる そこでは土地を耕して米を作る でも貧しい」ゆっくりゆっくり英語でそんな話をしては僕も彼のペースでうなずいたり尋ねたりする。さらに続く「この仕事を12年やっている」「日本語もここでおぼえた」「自分で勉強した」日本人旅行者に教わったのでもなく、仕事の為に彼は覚えていったのである。そしてこのサダルストリートにある19のホテルの名前を全部あげ、このホテルの界隈で毎日ツーリストを見かけては声をかけるのだと言う。

 

 今まで僕はこの手の連中が嫌いであったし、醜いと決めていた。そしてもちろん話などしたことも無かった。今日、最期の朝に彼が僕の隣に座って話しだした。まるで自分たちのことをわかって欲しいとでも言うように。一通りしゃべり終えた彼は、静かにそのまま眠ってしまったようである。チャーイの1ルピーを払い、あえて彼を起こさずそっとしたままその場を去る。

 

 少し歩いてパラゴンへ戻り、いつものパンとゆで卵の朝食をとり午前中を過ごす。隣のベッドを取っている人はインドの写真を撮り続けているらしく、かなりのフィルムを持っている。特にマーケットに興味があるという。2階にはプロのカメラマンという人がいて「一枚の写真を撮る」ことに命をかけている。

 

 午前10時のチェックアウト・タイムが近づいたところで席を離れ荷物の整理にかかる。持ってきたもので今あるのはパンツ3枚と薬少々、それに洗面道具。あとは帰るために身につけてしまう。ジャージとコップはパラゴンのマネージャーにあげ土産を詰め込む。ノートと本を入れて、あとは小物が入るだけのスペース。使ったベッドを空け、1つになったリュックをオフィスに預けて最後の買い物へ出かける。

 

 いつもと反対側へ行ってみると紅茶だけ売っている小さな店をみつける。小さな木箱入りで25ルピーの50グラム入りを2個買い紅茶は終り。少し歩くとミュージック・テープがあるのを見つけ2本ほど買おうと聞いてみる。結局お茶を頂きながら店の男が勧める古典3本、ボーカル1本、宗教音楽1本の計5本を1本30ルピーで買う。選曲がいいのか、どれも欲しくなるテープばかり。リュックが一杯なのを気にしながら5本で止めておく。

 

 そして、ニューマーケットに入り小物を置いてあるのを見て、開店早々を承知で中に入る。小物入れやクリシュナの像やペインティング、それに土産用ボールペンなどを財布の残りを見ながら買い、店の若者のチャーイをご馳走になる。彼の親父さんが日本にいたことがあるらしく、日本人とわかると「ワタシハ コウベニ ニネンイタ」と日本語でしゃべってくれる。この店で買い物は終り、店の外で待っている座ったままの老人に30パイサの小銭を渡し出てくる。

 

 昼食に今日はチキン・エッグ・ロールを3本買いパラゴンへ戻る。帰って来てリュックに収めるが、テープ5本のことを考えていなかったので洗面道具は入らない。それをこのホテルの少年ピースにあげる。それでこのリュックはFULL、パーフェクトである。残った時間テーブルに座ってノートを開いたりするが、その時パラゴンへチェックインした日本人ツーリストが、このホテルの事をはじめいろいろたずねる。東南アジアはかなり回っているがインドは初めてらしい。それで自分の知っていることや3週間で回るコースについて相談に乗る。3ヶ月とはいえインド一人旅の体験はいろんな情報をもっているみたいだ。そんな風にアドバイスするうち、出発時間が近づく。

 

 最後にフランスのおばあちゃんにメモを残し枕もとに置き、皆に一声かけてリュックを担ぎインディア・エアラインのオフィスにバスをつかまえに向かう。カルカッタはいつものように車と人で溢れ返っている。少し歩くとジーパンの下にひんやり汗が冷たい。空港行きのバスが30分後の15:15発であり、13ルピーで無事空港までやって来てチケット受付の前のベンチでノートを書く。

 

17:00 そのうちパラゴンで一緒だった女性が友人より先に日本へ戻るということでやって来る。