1987年12月31日(木) カンニャークマリ大晦日

 昨日今日と日の出を見に岬に立つ。6:25ヴィヴェーカーナンダロックからサイレンが鳴り日の出を告げるが2日とも雲がかかっており、その15分後ぐらいに雲の端が赤くふちどられ、かなり強い光をはなちながら太陽が顔をだす。風は強く、波は岩に砕けしぶきをあげている。

 

 ここに来る人たちは、朝と夕に太陽を見ることが目的であるから、その時間の海岸の人出はすごい。特に今はインド人の観光シーズンであるだけに特別なのであろう。そんなことに関係なく、今日もまた太陽は東の海に昇り西の海に沈む。

 

 今日で1987年が終わるという実感は全くない。ただ時計のカレンダーを見て、自分にそうなのだという。今日から明日にかけて、何か自分にとって儀式めいたことをしておこうと思っていたのだが、突然今日になってそうしたいという欲望がしぼんできた。

 

 長く伸びた髪を切って丸めてしまい、朝日に向かって岩の上で迎えるとか、沐浴をしながら迎えるとか、そのような状況を想像したりしていたが、そうすることが何か滑稽に思えて不自然な感じ。自分が本当にそうしたいのか…。そうすること自体より、その形式を事実として残しておくことに重きをおいているのでないのか…。そんなふうに感じたりした。

“あまり頭で考えるのはやめて、自分が望むがままにしよう”

 

 昨日30日はここで出会った2人の日本人旅行者と一緒に過ごし、ここの部屋が彼らの宿より便利なので、部屋で話をしたりする。午後からは少し年配組みの会社員という人を含む3人の人たちと燈台で会い、久しぶりに日本人が集まってインドの最南端ですごす。

 

 一度バス・スタンドへ行き元旦の16:45発マドラス行きの予約をとり、それから夕陽を見に海岸へ。毎日同じ太陽でも、雲が少しずつその表情をかえる。夜は水本君とマドラスミールなる定食をたべる。なかなか食べやすく満足。食後ジュースを飲みに行った店で、昼間あった人たち2人と一緒になり、どんな旅をしているのかいろいろお互い話をする。

 

 東南アジア専門の9日間インド旅行中のサラリーマン氏もなかなかユニークでおもしろい。もう1人の方は6年半会社に勤め9月一杯でやめたという、同じ経歴の持ち主であった。店を出て彼らのホテルの部屋におじゃまし、結局12時を過ぎ久しぶりの夜ふかし。今は午前11時。やっと一人になったと言えば一人になったところ。このノートの最後のページを午前中で埋めてしまう。

 

アラビア海に沈む最後の夕陽
アラビア海に沈む最後の夕陽

17:00 クマリを祭るヒンズー寺院へ行ってみると開門前。多くの人が待ち、並んでいる。ぞうりを脱ぎTシャツをカバンに納め、ルンギー1枚の姿になって皆と一緒に並ぶ。

 

17:15 門が開き叫び声とともに境内へ。中心の本尊の周りをぐるりとまわり暗い堂内に入る。いつものように行列でせかされながら礼拝。賽銭を出し額に赤い粉をつけてもらう。クマリの本尊は暗くてよく見えない。ガネーシャの像もある。

 

17:40 岬の先のアラビア海が見える岩の上、いつもより少し離れた所に場所をとり座る。正面に傾きかけた夕陽がやさしく光を浴びせる。風が心地よく寒くはない。

 

18:05 いつの間にかこの岩の上も人で一杯になっている。太陽は赤くクッキリその姿を見せながら水平線に近付いてゆく。今年最後の夕陽が今沈もうとしている。

 

18:10 サイレンと共に夕陽は沈む ビビア!!!   ’87.12.31 コモリン岬にて