1988年1月6日(水) ブバネシュワールヘ

ブバネシュワール画像検索より
ブバネシュワール画像検索より

〈in the morning〉駅にて

 

 夜中に何度かトイレに通いすべてを放出。思っていた通りに腹の痛みは止まり体調も戻る。しかし少々寝不足気味。朝はスペシャルコーヒーだけにして荷物をまとめホテルを後にし駅へ向かう。いつものように朝の駅は列車を待つ多くの人で溢れている。列車のホームを確認し、待合室のベンチに座ってテレビなどみている。

 

 現実からかけ離れたタバコのコマーシャルなどが流れている。そのうちテレビに見入っているハリジャン(ガンジーが呼んだ神の子という意味の最下層の子供達)がポリスに追い出されたりしている。

 

 今回は席が取れているのでプラットホームでウォーミングアップをする必要はない。列車が入って来ると車両の入口に名前のかかれたリストが貼られる。席はいつも婦人用のコンパートメントになっている一室がツーリスト用に確保されていた。僕の他に3人のツーリストがいて、カップルの女性の方は日本人でカルカッタに滞在してシタールを習っているという。

 

 彼女は僕をインドネシアンだと思ったという。3人ともプーリーへ向かうようだ。列車は定刻を少し過ぎて動き出し、一路北東へ18時間の長い旅。景色を眺めては本を読み、途中上段のベッドに横になり少し眠ったりする。さすがに食べるのは控えめにしてクラッカーやスナックなど軽いものをつまんではチャーイを飲む。

 

 22:00ぐらいにベッドをつくり皆就寝。眠ってしまえば知らぬ間に列車は目的地へ運んでくれる。夜中の3時に鳴りだしたアラームを隣の人に教えられ目を覚ます。よく響くと思ったら列車は駅に止まっている。ここでプーリーに向かう3人は降りねばならなかったのだが、珍しく列車は早めで誰も気づかない。そこでチャーイを飲んだり顔を洗ったりして荷物をまとめるうちに列車は動き出し、じきにブバネシュワールへ到着。

 

 彼らは一駅戻りプーリーへ向かうためここで別れ、駅のプラットホームで朝の来るのを待つ。カンニャークマリで会ったインド人がブバネシュワール~プーリー~コナーラクと回るように勧めてくれた。多くのツーリストはプーリーの海岸へ行ってくつろぐみたいだ。しかし、もうこのオリッサ州のスポットが3ヶ月の旅の最後のスポット。ビーチにいるだけでは少々物足りない。今日はここにある日本山妙法寺にも行ってみることにする。

 

ブバネシュワール画像検索より
ブバネシュワール画像検索より

〈in the evening〉日本山妙法寺にて

 

 駅でパイサを払い並んでトイレを使ったりして朝の来るのを待つ。6時を過ぎてもツーリスト・インフォメーションには人のやって来る様子はない。駅にある地図を見て朝日の昇った町へ出てバス・スタンドまで歩いてゆく。しかし、そこからは妙法寺のあるダウリへ行くバスはない。リクシャーで20ルピー。細かいお金がないので、とりあえずツーリスト・バンガロー内にあるというツーリスト・オフィスへ行くことにする。

 

 着いてみると8時オープンのはずのオフィスは閉まったまま。リクシャワーラーいわく、10時からなのだと。ここのレストランに入りトーストとコーヒーをとってお金をくずし先のサイクル・リクシャーの男と交渉。午前中街のヒンズー寺院を巡り、それから12キロ離れたダウリの日本山妙法寺まで50ルピー。これはガバメント・フィクス・プライス(インド政府固定価格?)だと言う。

 

 35ルピーで他を捜すといえば45ルピーと言ってきた。ヒンズー寺院の場所も分からないし、12キロ離れた所まで行くのだから仕方ないかもしれない。他に方法が無いようだ。街のあちこちにヒンズー寺院は点在しており、その主な所へ連れて行ってくれる。着くと時間は気にするなと表で待っている。

 

 最初に行ったラーシャラニ―寺院でヤシの葉にヒンズーの神様の絵を描いた短冊を男が売っている。シバ神を選び値段を聞くと15ルピー。自分で書いて作ったものみたいなので値切るのはやめてそれを買う。いくつか同じようなヒンズー寺院を回った後、リンガラージャ寺院へ。遠くからもその大きさが認められる。

 

 大きな池の脇を走りながらその寺院へ。街はきわめて静かでのどかである。リンガラージャ寺院へは異教徒は入ることができず、脇の展望台に登ることになっている。登ってみるとノートを持った男がお金を要求してくる。5ルピー出して名前を書く。後から来たアメリカ人は怒ってポリスを探している。それも極端な感じ。インド人としては見せてあげるのだから寄付をとって当然なのでしょう。

 

 そこを最後にダウリへ向かう。少し南へ向かいプーリーへ行くバス道路を走りだすと、遠くの丘の上に白いストーパが見える。場所が分かっていれば歩いても行けない距離ではない。途中でバス道路から別れ、村を越えてその丘のふもとまで行く。坂の手前でサイクル・リクシャーを止め、不覚にも5ルピーおつりはあるかと聞いてしまった。彼らに対し少し「配慮」が足らなかった。

 

 結局50ルピー払って彼の教えてくれた妙法寺のハウス(庫裡)へ向かう。庭に赤い花の咲く白い建物が美しい。宝塔に刻まれた南無妙法蓮華経が突然目に飛び込んでくる。庭に5人位ここの人々がおり、合掌して挨拶するとみんな合掌して返してくれる。若者に日本のお坊さんはいるかと聞くと、今は日本に帰っているという。ビザの関係で再び帰ってくるのは3月頃らしい。しかしここに泊まることは出来るというのでお言葉に甘えることにする。

 

 荷物を降ろすとチャーイとプーリーを出してくれる。そして食べるまえに合掌してお題目を3回唱える。インドの人が唱えるお題目は初めてであるだけに「ハッ」とする。プーリーにはマサラでなく葛餅にかけるような甘いシロップをかけてくれる。なかなかおいしいおやつだ。食べ終わって再び合掌。それから丘の上へと出かけてくる。

 

 手前がヒンズー教のシバ神の寺院、奥が妙法寺の仏舎利塔のストーパになっている。どうやらシバ神に縁があるらしい。丘の上は例によってインド人のツーリストバスが次々やって来て騒がしい。正直言ってこういうツーリストを見ているとインド人に勤勉という言葉は無縁だな、などと思う。それが良いのか悪いのかは知らないが。しかし、下層階級の貧困が無くなるのは一体何百年先のことであろう。ヒンズー寺院では、やたらお金をせびるニセ僧侶が額に粉を付けたりしている。そこからストーパの方へ。途中「バブー」という物乞いの声が重苦しく響く。

 

ブバネシュワール画像検索より
ブバネシュワール画像検索より
日本山妙法寺のスケッチ
日本山妙法寺のスケッチ

 ここからぐるりと周囲の大地が見渡せ、遠くにブバネシュワールの街並みも見える。それだけに観光スポットになっているのであろう。インド人が次々やって来ては仏像の前で記念撮影している。どうもここでは落ち着かない感じ。少し下り途中の岩山に登って座り、ようやく落ち着く。ここまで来ると静けさが沁みてきて、ざわめきもその中へ溶けてゆく。

 

 この岩の周りには植樹をしており、その一本一本に女たちが頭に水入れを載せて運び撒いている。そうやって全部に水を掛けてゆくのだろう。

 

 ストーパをそこでスケッチして岩山を下り、川の方へ歩いてみる。ここにはひっそりとヒンズーの寺院が大樹の脇にあり沈黙の音が聞こえてくる様なところである。川岸へ行くと男が水を浴びており、水鳥も川岸にたわむれている。小鳥の鳴き声や水の音、そしてトンボの羽の音など。それ以外は「無」。

 

 途中、岩に刻まれたアショカ王の碑文をみてハウスに戻ると午後3時過ぎ。ダルのカリーとアールーのサブジーにライスを出してくれる。なかなかおいしい。その後、帰って来たままの恰好でベッドにバタッと横になり夜の7時前まで寝る。夕陽を見ようなどと思っていたがそのまま寝入ってしまった。今は夜9時、やはり夜は少し冷え込むみたいだ。