1987年11月11日(水)釈尊涅槃の地クシナガル

白い涅槃堂
白い涅槃堂

 インターナショナル・ゲストハウスで部屋の前の広い庭に面したベンチで日の出を望みながらノートを開く。ここは、隣の日本寺の土地の地主が建てたホテルでガイドブックには載っていない。Wの部屋で居心地はよい。40Rs.とのこと。

 

 10日は午前中にゴーラクプルより乗り合いジープでクシナガルへ着く。小さな町で、仏陀の涅槃堂と火葬跡のラマバル塚、そして各国のお寺が道沿いにあるだけである。

 

 日本寺へ行ってみるとひとりのインド人が日本からお坊さんが来ているからと庫裡へ案内してくれる。口ひげをたくわえた精悍な顔つきのその人は、橋本さんという高野山系の宗派の方で年齢は同じ30歳とのことである。インドへは短期の派遣でよく来るそうである。お茶を頂きしばらく話をし、荷物を預かってもらう。

 

 そこを出て塚へ向かう一本道のすぐ左手に本化妙宗のお題目の塔が見える。周りは庭になっており花を植えている。中へ入ると入口に小さな部屋があり管理人の子供のビロド君が迎えてくれる。

 

 朝は学校に行き、ずっとその部屋で英語や日本語の勉強をしながら番をしている。鎌倉に高橋さんという方がおり、その人からの手紙を見せてくれ、彼が書いた返事も見せてくれる。漢字とひらがなで一生懸命書いている。彼も近々高橋さんと日本へ行くという。その日が待ち遠しいことであろう。

 

ラマバル塚
ラマバル塚

 真直ぐ一本道をラマバル塚へ歩く。太陽は真上に来て、まわりは畑と木立と大地が続く。2,000年以上も昔、かつて80歳の釈尊は小さな村があるだけのこの土地を歩き、ここでその生涯を終えたのである。

 

 聞こえるのはただ小鳥たちのさえずりだけ。やがて前方にレンガ積みの大きな塚が見えてくる。空の青さにくっきりとその赤茶色の塚が浮かび上がる。限りなく静寂な地である。

 

 塚の脇に畑を隔てて釈尊が最後に沐浴されたという河が流れている。歩いてきた道を戻り涅槃堂へ。右わきを下にして横たわる大きな釈尊の涅槃像には体に布がまとわれ、堂内は芳しい香のにおいに満ちている。手のひらや足のうらにはチャクラが描かれている。

 

 バスターミナルまで空腹をおぼえ歩いてゆく。朝食は1Rs.のパン1個であった。しかし、何やらランチらしきものは見当たらず、サモサの形をしたお菓子を2個とチャーイで満たす。甘くておいしかった。

 

 3人の日本人がやって来て隣にすわる。ネパールから下って来てここへ寄ったという。これからゴーラクプルへ出て一泊し、ベナレス方面へ向かい仏蹟を廻るそうだ。4人で話をしていると知らぬ間に多くの人が回りで聞いている。日本の会話が珍しいのであろう。

 

釈尊涅槃像
釈尊涅槃像

 夕陽が沈むとあたりは急に真っ暗になる。外灯も少なく歩く回りに何一つ灯りがなくなる。ただ夜空の星がうすく大地と木立のシルエットを浮かべる。初めての体験である。

 

 ディナーはレストハウスの食堂でターリー(インド式カリー定食)野菜のカレーとライスが大変おいしい。ご飯をおかわりし、カレーのスープをまぶしてあっという間に食べ終わる。

 

 部屋に戻り母や東京の従姉にハガキを書き床につく。明かりを消すと全く光の無い闇の世界。しかし、ここにおいては何の不安も感じない。一人ぼっちという感じもない。

 

 

 

大地に沈む太陽
大地に沈む太陽

 今日11日は、インターナショナル・ゲストハウスを午前9時過ぎに出る。ゴーラクプルまで出るという宿のおじいさんと一緒。この町では顔が広くみんながナマステーと挨拶する。

 

 ゴーラクプルで先日泊まったロッジの人に途中で会い、ポカラまでのバスの手配をして国境のナウタンワへ。そこから歩いて国境を越えスノウリのホテル(MAMTA LODGE)で一泊することにする。

 

 バスで3時間少しの旅。後から乗ってきた2人づれが並んで座って来て少々「窮屈」。自分の席だという「心」がますます居心地の悪い状況をつくってしまった。