日蓮聖人の三大誓願

              我 日本の柱とならん

 

              我 日本の眼目とならん

 

              我 日本の大船とならん

誓願の井戸

比叡山から清澄への帰路、伝説の伊勢の遺跡、日蓮聖人誓願の井戸
比叡山から清澄への帰路、伝説の伊勢の遺跡、日蓮聖人誓願の井戸

 貞応元年(1222)2月16日、日蓮聖人は安房国東条郷片海(現在の千葉県天津小湊町)に誕生なされました。正確には貞応への改元は、この年の4月13日ですから日蓮聖人の出生は承久4年の2月という事になります。承久と言えば後鳥羽上皇が隠岐に、順徳上皇は佐渡に、そして土御門上皇は土佐に流された未曾有の大事件である「承久の乱」の翌年のことです。

 

 安房の国の東条郷は御厨といわれ、神様の賄い処という意味で、ここ東条郷一帯は、伊勢大神宮の神領でした。日蓮聖人はこのことを誇らしく思い、懐かしくも思っていました。晩年身延山に於いて、安房の国は天照大神の住み始めた国であり、ここから日本国をさぐり出されたのだ、だからこそ、ここに安房の国の御厨があると書き記したお手紙があります。どういう前世の因縁によってか、日蓮がこの国に生まれたのは日本第一の果報であるといわれました。日蓮聖人が、他の祖師とは比較にならないほど強い国家意識・歴史意識を持っていることは広く知られていますが、天照大神への誓願もその表れと言えるでしょう。

 

 話は戻りますが天福元年(1233)の5月、12歳の時に清澄山に登り道善坊を師匠として16歳で得度をして、是聖坊蓮長と法名を授かりました。そして清澄山での修行から鎌倉での修学を経て、更に仏法を求めて比叡山に入り12年に亘る研鑽の結果、法華経こそ釈尊の説かれた真実の教えであるという確信に至ったのです。

 

 建長5年(1253)4月28日32歳の時、自ら日蓮と名のり、清澄山旭が森から暗闇を裂いて太平洋に昇る朝日に向かって大音声で南無妙法蓮華経と唱えられ立教開宗の宣言をされたのです。比叡山から故郷の安房の国へ戻る道順についていろいろな伝説がありますが、その中でも一番注意を引くのが比叡山から南に下り伊勢路に向かい伊勢神宮にお参りしたという説です。この時、内宮と外宮の中ほどにある天台宗の常明寺(廃仏毀釈で廃寺、現在は倭姫宮の境内)に逗留しこの誓願の井戸にて身を清め伊勢神宮に参拝したというものです。

 

 

 

三大誓願の刻まれた多宝塔
三大誓願の刻まれた多宝塔

川合芳次郎居士設立の正法護持財団(現川合京都仏教美術財団)により整備

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