五日 行学二道

諸法実相鈔(しょほうじっそうしょう)にいわく

 一閻浮提(いちえんぶだい)第一の御本尊を信じさせ給え。

 

 あいかまえて、あいかまえて、信心つよく候て三仏の守護をこうむらせ給うべし。

 

 行学の二道をはげみ候(そうろう)べし。行学たえなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化そうらえ。

 

 行学は信心よりおこるべく候(そうろう)。力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし。

 

(1 52歳 2 文永10年 3 佐渡一谷 4 728頁)

口語訳「日蓮聖人全集」より

 特に一閻浮提第一の最も優れた御本尊を信仰して、真剣に心の底から信心を強く盛んにし、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏のご守護がいただけるよう心がけることが大切である。またさらに修行と学問の二道を怠らず励むことが肝心である。この行と学の二道が絶えるようなことがあれば、仏法は滅亡してしまう。まず自分自身がこの二道を励み、得たことはただちに他の人々に教えていくべきである。そしてこの行学の二道は、信心から起こり始まっていくのである。もしも自分に力があったならば、たとえ一文一句であっても、他に向かって語り伝えていくべきである。

閻浮提「日蓮宗事典」より

 古代インドの世界観で須弥山の南方にある大陸のこと。四大洲の一つ。須弥山を中心に東西南北の四洲に分かち、閻浮提は南洲に属し、南閻浮提ともいう。閻浮は樹の名、提は洲と訳す。この洲に閻浮という大樹があるので閻浮提という。一六の大国、五〇〇の中国、一〇万の小国がある。この洲は他に比べて住民が受ける楽しみは少ないが、諸仏が出現するのはこの南の洲だけであるという。地形は北に広く、南に狭く縦横七千由旬といわれ、もとはインドの地を指していた。しかし後には我々の住む人間世界、娑婆世界をいうようになった。

本尊の定義「日蓮宗事典」抜粋より

 日蓮宗において一般的にいわれる本尊の定義は、根本尊崇・本来尊重・本有尊形ということである。これは仏教一般の解釈を日蓮宗の学匠が検討して来たものを、優陀那日輝(一八〇〇-五九)が『妙宗本尊略弁』等に収約したものである。(1)根本尊崇(こんぽんそんすう)とは、本門の本尊を修行の根本とし所依とし、最も尊崇するという意義である。仏法僧の三宝を尊崇するけれども、そのなかで根本に尊崇するのである。(2)本来尊重(ほんらいそんちよう)とは、本門の本尊が無始久遠(永遠なる過去)から、法爾として最も尊重しなければならぬ存在としてあるという意義である。(3)本有尊形(ほんぬそんぎよう)とは、本門の大曼荼羅本尊の全体が久遠の尊形であり、常住の尊相であるという意義である。そして、これらの必要欠くべからざる意義を全部そなえているのは、本門の本尊を措いてはないことが強調されている。

 


   日蓮大聖人が弘安4年5月15日に顕わされた大曼陀羅の写し
   日蓮大聖人が弘安4年5月15日に顕わされた大曼陀羅の写し

日蓮大聖人が『観心本尊抄』に

「一閻浮提 第一の本尊 この国の中に立つべし」

とご書顕され『諸法実相抄』にも

「一閻浮提 第一の本尊 を信じさせ給え」

と念押しされている

 

この大曼陀羅の右下には大聖人の御手により目的・主旨が讃文として以下の様に書かれている。

 

「如来滅後於閻浮提内未曾有第一之

       大曼陀羅本門寿量佛

             本尊也」

(如来の滅後 閻浮提の内に未曾有第一の

         大曼陀羅本門寿量佛の

               本尊なり)