1988年1月8日(金) プーリーへ

プーリーのビーチ
プーリーのビーチ

 時計はちょうど正午。プーリーのツーリスト・バンガローの部屋でノートを開く。昨日は夕方からお腹が痛みはじめる。夕食はこのバンガローの前にあるマハラジャという小さなレストランでスープとパンとボイルド・ベジタブル。正露丸をのんで横になる。今までの下痢の時と少し異なり痛みが激しく、とてもノートを書く気になれない。体をくの字に曲げて早々と横になる。今は痛みもおさまったが食欲はない。

 

 朝6時前に1度起き、砂浜に出てみる。明るくなり始めた空に月がポッカリ。しかし海は霧でかすんで日の出は見えない。浜には三々五々人が出て散歩している。

 

 昨日は朝6時頃やはり外に出て丘の上から大地を見て始まる。少しすると日本山妙法寺の本堂から太鼓の音が響き始める。本堂に入ってみると、ここのインド人の若者が太鼓をたたき、お題目を唱えている。後ろで正座をして一緒にゆっくりとNAM MYO HO REN GE KYOとお題目を唱える。かなり長い時間つづける。こうやって僧侶のいない間もお寺を守っているのであろう。

 

 朝食は「お米」とクッキーとチャーイ。「お米」は平たくつぶし炒ったもので、香ばしくてなかなか美味しい。リスもやって来て撒いてやると一緒に食べる。食後荷物をまとめて出かけようとすると、バイクでバスの来るジャンクションまで送ってくれるという。皆さんと別れの挨拶をしてバイクの後ろに乗って走りだすと、思っていたよりずっと先がバスの止まる所であった。

 

 ドネーションのつもりで100ルピーを渡そうとすると受け取れないという。彼がハウスの責任者であるから別に問題はないであろうと考えたが、「そういう形でお金は受け取れない賽銭箱に入れてくれればいい」と言われ何かさとされた感じ。結局一宿三飯の世話になってしまった。何らかの形でお返しせねば。

 

プーリーのメインストリート
プーリーのメインストリート

 バスに乗ってプーリーまでは1時間と少し。意外に大きな街でやたらにサイクル・リクシャーの数が多い。それだけに久しぶりにうるさい。最後の場所に当たるので自分でゆっくり宿は捜そうと、大通りを寺院の前を通り海岸まで歩いてゆく。ジャガンナート寺院はヒンズーの大きなお寺で、その門前はバザールやリクシャーや乞食で溢れ返っている。

 

 海岸まで出てみるとホテルは沢山あるが浜はかなり混雑している。インド人の海水浴場といった感じ。東の方の静かな浜辺に来ると、海に面して広い庭と大きな建物。これがツーリスト・バンガローで部屋代は80ルピー。部屋は広く、バス・トイレのスペースも広い。しかし蚊はものすごい数で迎えてくれる。もっともベッドには蚊帳がついてはいるが。

 

 シャワーを浴びて洗濯をして昼食をとった後、駅まで行ってカルカッタまでの予約を取る。1週間先の14日の2等寝台なので特に問題なく手に入る。しかし並んでいるあいだ横から顔をつっこんでくる人間が何人かいてなかなか進まない。誰かが文句を言うと、それなりに反論して当然のような顔をしているから理解できない。横で柄の悪いチンピラのような若者がチケットを買わないかといろんな人間に声を掛けてはウロウロしている。そしてこちらを見て、誰にならったのか卑猥な日本語を並べきたない眼をして笑っている。

 

 プーリーを発つまでの1週間。どちらかというと「居なければならない」という感じ。3ヶ月の旅もいよいよ終わりを迎えようとし、今となっては次に何処を訪れようなどという「目的」を作れない。カルカッタへ余裕をもって無事たどり着き、航空券の予約再確認を行い「出国する」というのが今の目的である。そんなことを考えだすと今まで自分を保ってきたものが少しずつ崩れてきそうだ。

 

 小さな右手親指の逆むけが化膿しポッカリ傷口を広げるし、左足付け根のリンパ腺は腫れていないがそれに似た痛みがある。逆に考えれば良く今まで事故も病気もケガもなくやってきたものだと思う。残す12日間をもう一度気を引き締めて自らを保ち続けよう。とかく先のことを考えだすと「今」と共にいれなくなるというのが現状の分析であろう。

 

ジャガンナート寺院
ジャガンナート寺院

〈in the evening〉

 

 昼からはショルダーバックを下げ浜に出て歩き、昨日寄った茶店でチャーイを飲みながらクッキーを2個かじる。そのうち店にミルクが届き沸かしだす。かなり時間はかかったがミルクがグツグツと沸いたところでミルクコーヒーとフルーツケーキを食べる。それで朝食兼昼食とする。

 

 そこから街の中央を抜け映画館の脇を通って大通りへ出てバス・スタンドの方へ特にあてもなく歩く。途中の集落の中を抜けながら駅の方へ。この辺の子供は明るい顔で「ハロー、ハロー」と声をかけてくる。こっちも「ハロー」と返すと笑顔で喜んでくれる。ただそれだけのやり取りだが、少々疲れ気味の自分をはげましてくれているようだ。市場でバナナ6本とリンゴ2個を買いバンガローまで戻ってかじる。

 

クリシュナ
クリシュナ

 夕方は正面の砂浜に座って波の音を聞きながら“オーム ナモー ナラヤナヤー”とマントラを唱えていると1人のインドの若者がやって来る。名前をサトスという。クリシュナ・ムルティーの本に興味を示す。彼にマントラについて聞いてみる。ナラヤナヤーは何度か生まれ変わった神の名前でクリシュナ神などがそうだとのこと。宇宙を創造したのがブラフマン、他のすべて我々も含めて創造したのがヴィシュヌ、そしてシバ神は破壊の神だという。

 

 彼が日本の歌を聞かせてくれと言い、「いつか町であったなら」という学生時代に流行った歌をうたう。歌詞を説明すると、彼も返歌をしてくれる。インドの歌い継がれた民謡のようだ。そんなやり取りをして、日本の民謡や子守唄が恋しくなる。あたりはすっかり暗くなり星が輝き始め、彼と別れて部屋へ戻り、お世話になった会社の先輩にハガキを書く。

 

 レストランへ行く折、ホテルの前でいつも待っているリクシャーマンが何でリクシャーを使わずにいつも歩くのだと文句を言ってくる。高いホテルに泊まっているのだから、彼らが不満に思うのも解らなくはないが、特に行く目的地がないし自分の健康のためだと静かに説明する。コナーラク行きのバス・スタンドへ出るときは値段次第で使っても良いが、どう考えても彼の言うように4キロあるとは思えない。

 

 マカロニ・ガーリックソースなるものを食べる。徐々に食欲も回復してきたようだ。部屋に戻ると机の上に置いてあるリンゴがネズミにかじられている。歯型からしてかなりデカイヤツのようだ。バスルームだけでなくこっちまで遠征してきて夜中にうろつき回っているかと思うと、あまり「居心地のよい部屋」とは言い難い。部屋代は高いしリクシャーマンには迷惑だし、明日コナーラクの方へ行ってみようかなどと思う。今夜はネズミの夢でも見そうな感じである。