二十一日 父母への孝養

忘持経事(ぼうじきょうじ)にいわく

 教主釈尊の御宝前に母の骨(こつ)を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、

 

 尊容(そんよう)を拝し、歓喜身に余り心の苦しみ忽(たちま)ち息(や)む。

 

 我が頭(こうべ)は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指(じゅっし)は父母の十指、

 

 我が口は父母の口なり。たとえば種子(たね)と菓子(このみ)と、身と影とのごとし。

 

(1 55歳 2 建治2年 3 身延 4 1151頁)

口語訳「日蓮聖人全集」より  富木常忍に宛てた手紙の一節

 案内の者に導かれて庵室に入り、教主釈尊の御宝前に母上の遺骨を安置し、五体を地に投げ出してその前にひれ伏し、合掌して両眼を開いて法華経の教主釈尊の尊容を拝すれば、宗教的な悦びが身体にあふれて、心の苦しみもたちまちに消えてしまった。それのみならず、父母への感謝の念が涌きあがり、わが頭は父母の頭、わが足は父母の足、わが十指は父母の十指、わが口は父母の口、自分の肉体はすべて父母から受け継いだものなのだと自覚を持たれている。その関係は、たとえば種子と果実、身と影とのように不可分なもの。