二十日 地獄と仏界

重須殿女房(おもんすどのにょうぼう)御返事にいわく

 そもそも地獄と仏とはいずれの所に候(そうろう)ぞとたずね候(そうら)えば、

 

 或(あるい)は地の下と申す経もあり、或は西方と申す経も候(そうろう)。

 

 しかれども委細(いさい)にたずね候えば、我等が五尺の身の内に候とみえて候。

 

 さもやおぼえ候事は、我等が心の内に父をあなずり、母をおろかにする人は、地獄その人の心の内に候。

 

 たとえば蓮のたねの中に花と菓(み)との、みゆるがごとし。

 

 仏と申す事も我等が心の内におわします。

 

(1 60歳 2 弘安4年 3 身延 4 1856頁)

 

口語訳「日蓮聖人全集」より

 そもそも地獄と仏とはどこに存在するかと尋ねてみると、あるいは地獄は地の下にあるという経文も見出され、あるいは仏は西方の極楽浄土などにいらっしゃるという経文もあります。しかし、よくよく調べてみると、地獄も仏も私たち五尺の身体の内に存在するものだということが説かれています。その証拠になると思われることをいえば、私たちが心の中で父を侮(あなど)ったり、母をおろそかにすることがありますが、それはその人の心の中の地獄が作用しているのです。それはたとえば、蓮華の種子の中に花と実とが宿っているようなものです。また仏も私たちの心の中にいらっしゃいます。

カピラバストー遺跡の蓮池
カピラバストー遺跡の蓮池