1987年11月23日(月) インド再入国・コルカタ、サダルストリートへ

サダルストリート画像検索より
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 昨日は飛行機でカトマンドゥよりカルカッタへやってくる。カトマンドゥの飛行場までは市バスを利用。「マ エアポート サンマ ザアンツェ バスストップ カハーンツァ?」

 

 唯一知っているネパール語を連発し、なんとか空港行きのバスに乗り込み無事到着。飛行場でもう1人の日本人、頭はツルツルに剃っており少し変わった人だなと思う。でも待合の時間にビールの小ビンをご馳走になったりし、カルカッタのガイドブックを参考になればと貸してあげる。

 

 フライト時間は1時間少々。ヒマラヤを眼下に眺めながら、おいしいランチなど出て快適なうちに又、いよいよあのインドへ。そして入国審査で引っかかってしまう。パスポートのスタンプは自分で確認しつつ国境を越えねばならないという教訓を得る。私のパスポートにはインドからネパールに入った時、インド出国のスタンプが見当たらないというわけ。

 

 “Who can help me?”などと言って困った顔少々。最終的にはショルダーバックのウイスキーが私を助けてくれた。頼まれていた7ドルのスコッチだったが、それがなければもっとお金と時間がかかっていたに違いない。

 

画像検索より
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 その間、同行の方は待ってくれ、空港からサダルストリートまでポリスのチェックするメータータクシーでやってくる。まずリットンホテルへ行き夕食を一緒にすることにし、僕はホテル・パラゴンへ、ドミトリー17ルピー。400ルピーと17ルピーの差は大きい。ツアーではオベロイグランドで1000ルピー以上する最高級ホテルに泊まるわけである。そこもインドであることに違いはない。

 旅を続けてゆくうちに、人とめぐり会うということをしみじみと思う。頭を丸めたその人は増野さんという画家で仏教と共に生きている。日本へ帰ってからの仕事は高野山のお寺に「ヒマラヤに走る龍」の水墨画を描くという。

 

 その為ヒマラヤにこもりテントを張り生活してきたのだから半端でない。一流のアーティストであろう。そして密教のマンダラを描くのが目標だという。そんな話を、もう1人のリットンに滞在中の中年の紳士と一緒に高級中華をいただきながらうかがう。

 

 この方も日本画等に精通していて、お二人のめぐり会いは素晴らしいものでしょう。中年氏の持つ墨を譲りましょうという話。欲しい人には探して手に入るものではないらしい。知らぬ間に僕も何かの役にたっているようだ。

 

 そんなわけで、その夜のディナーは中年氏にご馳走になる。そこを出てパラゴンの隣のマリーナホテルへ、久美子ハウスで会ったカルカッタでボランティアをしているというT君に会いに行くが8人位が葉っぱで「とんで」おり、つまらぬ夜を過ごしている。パラゴンへ戻り床につく。