1988年1月16日(土) 帰国3日前

カルカッタ妙法寺画像検索より
カルカッタ妙法寺画像検索より

 朝は6時に目覚め床を出る。フランス人のおばあちゃんも早起きのようだ。2階のテラスから梯子を登り屋上へ立ってカルカッタの朝を迎える。何か満たされたすがすがしい朝である。そして、朝一番に包帯をとり替えてもらってから、まだ誰もいない一階のテーブルで昨晩読みかけた本多勝一の「麦とロッキード」なる文庫を読みはじめる。

 

 日本の環境破壊や経済成長のひずみ、そして世界における資本主義とアメリカの背負ったそのカルマなど。何気なくもらった本だが、読むのに時期を得た贈り物であった。それにしても樹齢数千年(当時7000年と言われていた)の最古の樹が日本の屋久杉であるとは知らなかった。パンとゆで卵を食べながら本を読み終えたのが昼前の11時頃。それから顔を洗い少し落ち着いてから妙法寺のあるゴルパークまでバスで行ってみる。

 

 バスから降り橋を渡った右と聞いていたので歩き出し、鉄道をこえる陸橋の中ほどで妙法寺の白いストーパをみつける。陸橋の階段をおりバラック作りの集落の脇を通って寺の前まで行くが、入口には錠がかかっており境内には誰もいない。裏に入口があるかとグルリと回りを歩きはじめる。すると大きな池と沐浴場があり、たくさんの人が沐浴したり洗濯したりしている。みんな特に僕自身の存在を気にもとめず、そんな人々の間を歩いて鉄道の線路に出る。

 

 その両脇はいわゆるスラムになっており少々匂いも強い。それもその筈、線路はそこの住民のトイレ代わりで、そんな枕木や線路の上に注意を払いつつ歩く。この場所はトイレ兼、くつろぎ広場兼、物干し場になっているのである。結局裏側は塀で囲まれ入口は見つからず一周してくると、庭に2人のインド人が出ていたので合掌。中に入れてもらい本堂に案内される。正面に座し鐘をうってお題目を唱える。2人も後ろに座っている。

 

 今日はシノザキさんというお坊さんは、昨晩よりラジギールへ行って留守とのこと。50ルピーを賽銭箱へ入れ砂糖菓子をもらってそこを辞す。再びバスでサダルストリートまで戻って来て、昼は町の食堂でプーリーとサモーサにチャーイ。3ルピー50パイサのこんなランチの方がおいしい。

 

 ホテルにたどり着く前に、きたない顔をした売人が「ハッシッシ(大麻)」とささやきながら寄って来る。大きな声で追い払う。発した言葉は「チョ」にRがついて「チョロー(あっちへ行け)」になってしまった。部屋に戻ってシャワーを浴び、再び包帯をとりかえてもらう。何やら自分自身、フランスの美しい老婦人に少々甘えている感じ。指のケガはいつもウミがたまる部分の皮が自然に破れ、どうやら少しずつ治ってきているようだ。