1988年1月18日 帰国前日

チキンロール
チキンロール

〈in the morning〉

 

 昨日17日は午前中ゆっくり五木寛之の小説を読み午後はチャクラバティー氏と過ごす。午後1時に氏のホテルへ行ってみると、まだ荷物の持ち主はやってこないらしい。2人で表へ出てチキンロールのあるレストランへ行く。日曜日だったのでマーケットのシャッターは下り人通りも少ない。僕はチキンロールを2本、氏はプラウンカレー。店の中もすいており、途中日本人ツーリストの5人連れが入って来て奥の方へ座る。ヌードルか何か食べているらしい。

 

 昼食の後、今夜開催されるというインド舞踊のチケットを買いにタクシーで行くことにする。新聞に出ているホールの名前を頼りに、ドライバーに氏が説明しながら走るがなかなか分かりにくい所らしい。かなり走ってタクシーは見慣れた一角にやって来た。それは2日前にバスでやって来たゴルパークのサークルで、タクシーは先日歩いた陸橋を越えたあたりで我々を降ろす。

 

 そこでポリスにたずね、少し戻るために線路を横切りスラムを抜ける。この間と同じようにたくさんの人がくつろいでいる。ここに縁があるようだ。そこから妙法寺の近辺を歩き大きな池の間の道を歩く。とても静かでピースフルなところだ。途中何人もの人に場所を聞きながら歩く。1人の水を浴びている青年がかなり正確に道順と目印を教えてくれる。どうやらおまわりさんも勘違いをして別のホールを教えてくれたらしい。

 

 ようやくホールに辿りつくと、外からは分からないようなホールで呼んでも返事もなく中へ入ってみる。暗いホールの下に椅子が並び舞台の裏で4人の男がトランプをやっている。氏が今夜の催しについてたずねると、昨日で終わったという。新聞にはJAN.16to18となっていて、それを見せて確認するが無いものはないらしい。舞台の垂れ幕にもJAN.16to18となっている。ここの責任者らしき者も見当たらず誰に文句を言っても始まらない様子。あきらめて表へ出る。

 

 おかげで静かな池や公園の日曜日の午後を散歩することになった。自分自身それほど残念でもないし腹もたたない、なるようになったという感じで満たされている。再びサダルストリートまでタクシーで戻り夕方会う約束をしてパラゴンへ戻りシャワーを浴びる。2時間ほど五木寛之の「日之影村の一族」という小説を読む。九州の山奥に隠れ住む古代日本からの一族の物語。フィクションであるが実際大和朝廷に滅ぼされた民族がズット昔から暮らしていたわけである。そんな「日本」の古代への想いへとつながり興味深く読む。

 

 夕食後、チャクラバティー氏の部屋で話をしていると夜の9時頃、この日はもう来ないのかと思っていたオランダ人ツーリストがインドの知人である年配の男性を伴って部屋を訪ねてくる。明日インドを発つという前日にパスポートと荷物を受け取る。彼は今までの疲れも加えて心からホッとした様子。アンビリーバブルとつぶやいている。荷物はブッダガヤーから少し離れた貧しい村の人間が持っていたらしい。

 

 チャクラバティー氏は何人かに合計500ルピーを払いバッグを確保しカルカッタまで持ってきたわけである。お互い承諾の書面にサインをして後々問題が起こらぬよう処理している。当然かかった費用を氏は受け取るが、それ以上は受け取らない。少し話をしたあと彼らは部屋を辞し一件落着。しばらくして夜の町に散歩へでる。途中オレンジジュースを飲み、夜空を見上げる。今夜もすがすがしい夜である。翌朝、僕の旅の不要になったシャツやタオルを持って見送るに来る約束をして夜11時頃パラゴンへ戻る。

 

〈in the night〉

 

今日18日、朝目覚めたのは6時前。顔を洗っていると日本の女性が他のドミトリーから出てくる。“Good morning”と言ってしまい「おはよう」と言い直す。彼女は笑って「早起きですね」とほめてくれる。ポカラのヤッドホテルでも同じようなことがあった。感じのいい女性である。8時にショルダーバッグ一杯に不要になったものをつめてチャクラバティー氏のホテルへ行くと、彼は予定を変えていた。「最後のお互いにとってのゆっくりした一日をインド映画やショッピングで過ごそう、夜の列車でガヤーへ戻る」ということになった。それは彼の好意であろう。

 

 2人ともまだ朝食をとっていないので角の店に行き、1番高い7ルピーのチキン・チーズバーガーと氏にならって朝はオレンジジュース。そして朝の町を散歩にでる。街頭に「ガス屋」が出ているのを見つけ、ガスの無くなりかけた100円ライターにガスが入るか尋ねると渡してみろと言う。男は器用に上の金具をはずし、ガスを満タンにしてもとどおりに復元して2ルピー。気づかずにお金を左手でウッカリ出すと受けといらない。氏が僕の手からお金をとり彼に渡す。

 

 朝一番の客となった者には特にその日の縁起を担ぐらしく、決して不浄な左手からは受け取らないのだそうである。お店の場合は開店して最初の客に縁起を担ぐらしく、入ったら何かを買わねばならないという。そう念を押されて開店した店に入り、アドバイスを得てお土産のカシミア・ショールや成田到着時のモダンな柄のウールのセーターを買う。

 

 午前中の買い物はこれくらいにしチャーイを飲んで休憩した後、11時から映画を見に行く。最新の映画らしく満席。ダフ屋から7ルピーを10ルピーでチケットを買い指定席へ。映画は「大いなる心」、一代で財を成した父親とその子供達の物語で、ストーリーは大体想像つくが、コメディーあり、アクションあり、ミュージカルあり、そしてラブ・ロマンスありで3時間を退屈せず楽しく観る。ところどころ氏が英語で説明してくれ、内容もよくのみこめた。

 

 映画館をでて昼食にチキンロールを食べに行き、それからニューマーケットで幼い姪っ子にインディアン・スーツを買う。なかなか可愛く早く着せてみたい。買い物はそれでOK、いったんやめてチャーイを再びとり、夕方に最後に会う約束をして一度洗濯をしにパラゴンへ戻りシャワーを浴びる。一階で日本人ツールストと話をしていると、荷物を持ったチャクラバティー氏が夕方6時にパラゴンへやって来る。

 

 列車の時間が夜の9時台ではなく7時台であったらしく、予約の際に勘違いしていたとのこと。あわただしく通りを2人で歩き、彼はチキンロールを2本すばやく手に入れタクシーをつかまえる。これが今回のチャクラバティー氏とのインドでの別れ。お互い手を合わせ別れの言葉をかわす。大きな声でグッドバイとタクシーを送る。とてもすがすがしい気持ちでカルカッタでの最後の日々を、楽しく過ごせたことを感謝する。

 

 その後一人でニューマーケットへ入り、2人の甥っ子にクルターや、以前の仕事でお世話になったご婦人にサリーのお土産を買い、最後のチキンロール4本を買い夜7時前にパラゴンへ。一本を関根君という9ヶ月旅をしている若者にあげ、お返しにバナナをもらう。彼は感激して食べてくれる。

 

 そうやってベンチで過ごすうち政治学科の若者と73歳の、老人といっては失礼なのか年配の男性が加わる。その方は老後をそうやって世界各地を旅しながら過ごしている。ドイツやイギリスの文学や芸術の話を聞く。かの政治青年はなかなか通じており男性の話に応じる。話題が日本山妙法寺のことや宗教の事になると何やら喋りだす。そして二人は聞いている。そんな風に皆で話をしながら結構時間が経つ。

 

 皆が部屋に戻った後、まだ寝るには早いので表にタバコを買いに出てチャーイ屋に入る。入口の西洋人のカップルが座っている席に許しを得て合い席させてもらう。いま考えれば席は奥にも空いていたのだが、何故かためらいなくそこへ座って二人と向き合う。チャーイを注文して、彼女の吸っている20本入りのタバコを見てネパールからですか?とたずねる。そのタバコがネパール産かインド産か、そんなことはどうでもいいのだが。

 

 それは「パナマ」というインドのタバコで4ルピー。一本試しにと彼女がくれる。彼らと話をするうち、TOKYOも「東京」か、と聞かれそうだと答える。違うのはJAPANが正確にはNIPPONで「日本」と書き、それは太陽の源であるとその意味を教えると、話は象形文字のことへと進む。それで大人も辞典を持って漢字を調べる事など話すと、興味深く聞いてくれる。僕のファミリーネームをほとんどの人が読めないことなど話す。

 

 男性はイタリア人で女性はイギリス人。彼らは日本へ半年行って英語の講師をするつもりだという。僕の英語がgoodだと褒めてくれる。そして日本人ツーリストと話をしたのは初めてだという。こんな風に自分から英語の上手?な人たちに話しかけて時を過ごしたのは、これが初めてであった。そういうふうに気楽に喋ることが出来ればなーと思っていたのが、つい最近のことのようである。とてもいい話ができて彼らに礼を言い日本で会いましょうと言って別れる。

 

 パラゴンへ戻って来ると少々引き締まっているのか、そうしているのか、でも決して取っ付きにくい人ではないが、彼が隣へ座り話しだす。ベナレスに家を借り滞在し、サンスクリットを研究しているという。東大の大学院生のようだ。そして何やら関連のある話を不思議にも思い、いろいろと質問をする。自分の中からいろんなものが湧き出てくる。文字について、仏教経典について、古代国家について、アメリカの開拓について。いろんな事柄がどんどん出てくる。相手に聞いてもらい話すことで自分が「気づく」のである。クリシュナジーが言っていたように。

 

 今は夜中の12時を過ぎた。最後の夜だけに寝るのが惜しい。そして僕の前にはバンコクから今晩ついたスイスの若者が、僕がノートを書くのを見たりしながら座っている。別に気にもならない。時々彼は質問をする。そして僕も何か話す。ノートを書きながら“Where do you come from?”と聞き「スイスの若者」と書いたりする。

 

 明日は午前中、残ったルピーで小物のお土産を買い、昼過ぎに荷物をまとめて空港へ行くという日程である。