1987年11月18日(水) カトマンドゥへ ”母の還暦誕生日”

 居心地のよかったポカラを後にバスでカトマンドゥへ入る。思えばポカラでの5日間は恵まれた環境であった。

 

 ヤッドホテルの家族はたいへん楽しい一家である。奥さんはおもしろい人で茶目っ気がある。4歳になる女の子は数え歌のように歌いながら1から100までノートにきれいに並べて書きながら繰返し遊び、2歳の男の子は笛を吹き、耳を押えて逃げると喜びながら追って来る。

 

 目の大きなウジャリという手伝いの女の子は働き者。朝夕挨拶してくれ笑顔がかわいい。もう1人、働き者の男の子。この子はいつも嬉しそうな顔で人なつっこい。昼は湖で小魚を釣っていた。オカジという青年もスッキリして気持ちよい。

 

 1日20ルピーで楽しい日々を過ごせた。それにあのホテルではクレバーなドイツ人と心やさしいフランス人の女性のペアに広い部屋のシェアルーム(1人20Rs.)を請われ、夜はフランス語の会話を聞いているだけで心地よい。ありがとうございました。

 

 2人は昨日の昼前にホテルを出てヒマラヤのトレッキングに出発。昨晩はホテルの家族の一員のようになっているネパール語を話す日本の若者と同室させてもらう。何か親しみを感じる男であった。

 

 高校を出て東京で働いていたとのこと。今は一人旅の身、25歳とか。彼との話の拍子で、初日の出をインド最南端のコモリン岬で迎えようかと思う。そこで再会を約束する。

 

 体調の方は一晩で回復。食欲もやや戻り、夕食はカトマンドゥのチベッタンレストランでフライライス・モモ・スープと少々食べ過ぎ。安くて美味しい。なんとかたどり着いたフリーク・ストリートのホテルで快〇。これで安心。

 

 いま1つ35ルピーに納得していないがシャワーは熱いお湯が出てバスの旅のホコリを流す。町中なので全体的に狭苦しい感じ。まあ、広い庭を望むのが無理だが、せめて屋上に上がれればと思う。

 

 バスでは小学生の男の子を連れた日本人の夫婦の旅行者がいたが、夫婦仲は良好とは言えず、せっかくのネパールの家族旅行も日本の生活を引きずっている様でかわいそう。

 

 バスのような狭い空間で、景色も良く見えず、頭の中でいろいろ考えだすと止まらない。つまらぬ「言葉」が廻り出しよくないと気づく。その点、川で水浴びをしている水牛は立派だ。いつも自然と一緒にいることが出来るから。