1987年12月23日(水) アンジェナビーチへ

 昨日はここから50キロ以上離れたアンジェナの海岸まで行ってみた。乗り換えがバス2つ・フェリー・バス2つと一直線には行けず、片道3時間以上かかる遠足である。朝バススタンドまで歩いて行き、ドーナツ2つとチャーイで簡単に朝食。そこのレストランで日本の若者がかなり陽気になっている。

 

 この浜に来て日本人と話をするのは彼が初めて。ニュージーランドのツーリストも一緒なので英語で話したりする。彼はレストランで食事をするという条件でそこに宿代なしで滞在しているらしい。

 

 マルガオ行きのバスが来て彼と別れ、カングナートへ行くというニュージーランド人と一緒に同じバスに乗る。パナジについてフェリー乗り場へは彼の推測が正しく、反対方向に行かずにすむ。対岸からマプサへ。ここも大きな町でバザールなど沢山ある。アンジェナの海岸に来てみると意外と人は少ない。岩場と岬があり浜は小さく、コルヴァとはまた異なった風景だ。

 

絵葉書より
絵葉書より

 少し歩くうちアクセサリーの店で座っている日本人と出会う。From Japan? と一応確認。Kさんというダンサーであった。芸術家である人々は等しく宗教的関心が強い。彼の道を極めることで神へ近づいていこうとする。それは単なる「お坊さん」より純粋な菩薩であると言える。

 

 彼は日本に奥さんと子供を残してインドへやって来た。夫婦の間の節目で別居を考えた時、友人に一人でインドに行ってくることを勧められたという。自分で「女ぐせ」が悪いという。何人か愛人もいたらしい。

 

 しかし今、彼の思いをよぎるのは苦労を共にした妻であるとバイクの後ろに乗っている僕に語る。それは自分自身に語りかけているように思える。日本に戻ったら、今度は妻と子供、できれば友人も一緒にインドにやって来たいと言う。

 

 結局アンジェナでは彼とその友人のインド人の学生とともに過ごし、夕方5時にマプサまで送ってもらう。フェリーではインド人の親子連れが How are you? と話しかけてくる。何やらなつかしそうな顔つき。僕をジャルガオン駅のウェイティングルームで見かけたらしい。インド人も長期の国内旅行をして観光地を回っているようだ。

 

 バスを一度間違え、宿に着いたのは夜の9時。同じ宿の2人ともまだ食事をせずに待っていてくれた感じ。一緒にカレーと野菜サラダを食べ、お詫びに僕の持っていた「味噌汁」を皆の食卓に加える。オーストラリア人は「ミソスープ」にくわしく、みそやワカメが体にいい事を説明してくれたりする。10時過ぎ、一日の遠出で疲れた体を横たえ眠りにつく。

 

 

 今朝は早めに起床し、ウミタレストランでゆっくり朝食。2人の男の子に残り少ないノートを一枚また奪われる。どうやらペンよりノートの方が貴重なようだ。