⑱永遠の仏のこと

 12月8日は釈尊の成道会である。約2500年前に釈迦族のゴータマ・シッダルタ王子がお城を出て修行の旅に出た。6年間に及ぶ修行と前正覚山での苦行の後、ウルベイラー村の娘スジャータからの乳粥の供養を受けて尼蓮禅河で沐浴し、菩提樹の下に座り12月8日の夜明けと共にお悟りを開かれたのである。

 

 現在この聖地には菩提樹の前に大塔が建ち、主にタイやミャンマー、スリランカなど東南アジアの国々から観光シーズンには、たくさんの仏教徒が連日訪れている。そして大塔内に祀られた金色の釈尊像に、あたかも眼前にお釈迦さまが居られるが如きに綺麗な布を布施して、インドの僧侶により何度も着せ替えられるのである。

 

 日蓮宗の御本尊は「久遠実成の本師釈迦牟尼仏」である。敢えてやさしい日本語で言えば「永遠の仏」という事になるのであろうか。英語に訳すと「エターナル・ブッダ」。しかしこれはブッダガヤでは理解してもらえないそうである。ブッダガヤに集まる人々は、あの2500年前のお釈迦さまを渇仰し恋慕しているのである。

 

 我が日蓮宗ではインドに出現した釈尊を通して「久遠実成の本師釈迦牟尼仏」を仰ぐと説明されている。しかしながら、その御本尊の勧請様式は法縁や寺院の歴史によって様々であり特に決まりは無い。日蓮宗の寺院規則を開くと「日蓮聖人奠定の大曼荼羅を本尊として日蓮宗の教義をひろめ…」とある。日蓮聖人は佐渡に於いて始めて十界互具の大曼荼羅御本尊を顕わされた。それはお釈迦様が覚られた世界「事の一念三千」である。

 

 混迷を極める21世紀、世界が真の平和を実現するには一切衆生の心にある仏を呼び顕わす「南無妙法蓮華経」のお題目を「大曼荼羅御本尊」の前で唱えることこそ、地涌の菩薩が弘めるべき教義なのである。