法華経を学ぶ

「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)授記品(じゅきほん)第六」


授記品第六の大意


お釈迦様が弟子たちに未来には必ず仏になれる、という保証を与えることを「授記(じゅき)」というが、この授記品では先の信解品(しんげほん)で自分たちの理解を「長者窮子の喩え」に託して語った4人の仏弟子、すなわち迦葉(かしょう)、須菩提(しゅぼだい)、迦栴延(かせんねん)、目連(もくれん)に授記が与えられる。

 

法華経における授記


法華経の説かれた舞台となるインド・ラジギール、かつてのマガダ国の王都・王舎城にある霊鷲山の頂きにある香室。ここでお釈迦様は舎利弗を始め仏弟子たちに記別を授けた。

 

法華経全体でお釈迦様は仏弟子たちに教えと理解の段階に応じて5回にわたって授記している。


第1回は「譬喩品」において初めて、声聞(しょうもん)と呼ばれた仏弟子である智慧第一の舎利弗尊者に、

第2回はこの「授記品」において上記の四大声聞に、

第3回は「五百弟子受記品」において富楼那(ふるな)、憍陳如(きょうじんにょ)など1,200人に、

第4回は「授学無学人記品」において阿難(あなん)、羅睺羅(らごら)など2,000人に、

第5回は「勧持品」において憍曇弥(きょうどんみ)、耶輸陀羅(やしゅだら)などに授記された。

 

仏弟子においても当然教えを理解する能力(機根という)に差があり、その能力に応じて順番に授記してゆく。

 

最初に方便品の教えで一仏乗の教えを理解した上根の舎利弗尊者に授記し、次に「火宅の譬え」や「三草二木の喩え」によって理解をした中根の迦葉・須菩提・迦栴延・目連に授記をし、まだ理解できない下根の富楼那・憍陳如など多くの仏弟子には「化城喩品第七」で大通智勝仏に於ける宿世の因縁を説いてから授記するのである。

 

必ず仏に成れる


「仏に成れる」ためには、仏に成りうる条件を満たさなければならない。

仏に成るための修行がその条件となる。それは、人々を救う為の努力の積み重ねをすることが、法華経が説く成仏の条件である。法華経を読むだけで成仏できる訳ではない。説かれた教えをよく理解し、体で実践をし、人々のためになる利他行に励むことこそ成仏への真直ぐな道である。

 

摩訶迦葉(まかかしょう・マハーカッサパ)


迦葉はマガダ国の都ラージャガハ(王舎城)の近くの村のバラモンの出身。1,000人の弟子と一緒に釈尊の弟子となったガヤー出身のカッサパ3兄弟と区別するため摩訶迦葉と呼ばれた。

 

釈尊の十大弟子の中で「頭陀(ずだ)第一」と言われ、衣食住についての貪りや執着を払う修行法(頭陀行)にかけては、仏弟子の中で右に出るものがなかった。迦葉は汚れた粗衣を常にまとっていたので、他の修行者が彼を軽んじたことがあった。

 

それは、釈尊がコ―サラ国の王都・舎衛城の祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)に滞在していた時。泥や塵にまみれた衣をつけた迦葉が説法中の釈尊に近づいた。居合わせた修行僧たちはこのさまを見て軽蔑した。このことを知った釈尊は説法を中止して迦葉を呼び、

 

「よく来た。迦葉よ、私の座席を半分あけるからここに坐りなさい」と隣に座らせ、いぶかる修行者たちをいましめて、迦葉こそ仏陀に等しい境地に達したものであると説き示したのである。

 

迦葉が未来世において三百万億の仏を供養し成仏した時、国の名を光徳国、仏の名を光明如来、その時代を大荘厳と名付ける。光徳国は非常に美しく、道は平坦で高下がなく、地面には瑠璃(るり)が敷きつめられ、道の境には黄金の縄が張り巡らされ、美しい花が咲き乱れている。その国にはたくさんの菩薩や声聞がいるのである。

 

須菩提(しゅぼだい・スブーティ)


十大弟子の一人である須菩提は、「解空(げくう)第一」(空を最もよく理解しているもの)、「無諍(むじょう)第一」(決して他人と言い争いをしないもの)、「被供養第一」(誰よりも厚く信者の供養をうける人)とたたえられた。

 

 須菩提がマガダ国の都、王舎城に来たとき、彼の説法を聞いて感激したビンビサーラ王は「スブーティ尊者のために草庵を造ってさしあげたい」と申し出た。しかし王は国政の忙しさにまぎれて、草庵がもう少しで出来上がるところで屋根をふくのを忘れてしまった。

 

ものごとにとらわれることなく、供養されたものを感謝の心で受け取るという釈尊の教えを守っていた須菩提は、何も言わずに屋根の無い部屋に住んだ。

 

それから何ヶ月か経ったが、そのあいだ彼の徳に感じた天は雨を降らせなかった為にマガダ国の人々は日照りに苦しみ、農作物は枯れ始めた。王は草庵に屋根が無いことに気づき、急いで草庵の屋根をふくと、天はただちに雨を降らせたので、人々とともに喜んで次のような詩をうたった。

 

 

わたしの庵は完成し 風も通さず 心地よい

     

天よ 思うがままに雨を降らせよ

 

私の心はよく安定していて 悟りに達している

 

私は道を求めている

 

天の神よ 雨を降らすがよい

 

「須菩提は常に菩薩の道を歩んで最後に妙相如来となる。その時代を有寶と名づけ、国の名は寶生名づける。その仏は常に虚空に処して衆の為に法を説いて、無量の菩薩および声聞衆を度脱する」と授記されるのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

迦栴延(かせんねん・カッチャーヤナ)


仏弟子の中で「広説第一」と称えられた迦栴延は、中央インド西部の当時の辺地であるアバンティー国で布教していた。

 

侍者のソーナコーティカンナを出家させ完全な戒律を授けるのに10人の比丘が必要であった。そこで3年がかりでようやく10人の出家の弟子を集めて出家させた。

 

その後、釈尊に願い出て出家の際の儀式に必要な比丘を5人とする事、履物を重ねること、たびたび水浴をして体を清めること、獣の皮の敷物を使う事など、辺境の土地の風習に従うことを願い出て認められた

 

 

「この大迦栴延は当来世に於いて、諸々の供具を以て八千億の仏に供養し奉事して…菩薩の道を具して、当に作仏することを得べし。號(な)を閻浮那提金光如来(えんぶなだいこんこうにょらい)…世尊といわん。」と授記される。

 

目連(もくれん・モッガラーナ)


釈尊の十大弟子の中で「神通第一」といわれる。

 

神通とは修行の結果として得られる一種の法力で、目連は神通力によって足の指で帝釈天の宮殿を震い動かしたと伝えられる。しかし、目連の神通力は奇跡を行う為には決して使われなかった。

 

かれは、神通力によって釈尊の教団を外敵から守り、教団を分裂させようとする者たちを降伏させたため、晩年迫害にあった。執杖外道(しゅうじょうげどう)と呼ばれる一派に全身を激しく打たれ瀕死の重傷を負った。

 

駆けつけた親友の舎利弗が「君は神通第一の法力を持っているのに、どうして無法な暴力を避けられなかったのか」と聞かれ、「これは前世において父母を苦しめ殺した悪業の当然の結果なのだよ」と答え、舎利弗の友情に感謝しながら息を引き取ったと伝えられる。

 

「当に成仏することを得べし。號(な)を多摩羅跋栴檀香(たまらばっせんだんこうにょらい)…世尊といわん。劫を喜満と名づけ、国を意楽と名づけん。」と五番目に授記されるのである。


この後、諸々の弟子その数五百に授記する前に、釈尊と弟子たちの宿世の因縁が次の化城喩品に於いて説かれる。経文は「汝等善く聞け」で第七へと展開する。

 

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