二十九日 広宣流布(こうせんるふ)

撰時抄(せんじしょう)にいわく

 衆流(しゅうる)あつまりて大海となる。

 

 微塵(みじん)つもりて須弥山(しゅみせん)となれり。

 

 日蓮が法華経を信じ始(はじめ)しは

 

 日本国には一渧(いったい)一微塵(いちみじん)のごとし。

 

 法華経を二人・三人・十人・百千万億人唱え伝うるほどならば、

 

 妙覚(みょうがく)の須弥山(しゅみせん)ともなり、

 

 大涅槃(だいねはん)の大海ともなるべし。

 

 仏になる道は此れよりほかに又もとむる事なかれ。

 

(1 54歳 2 建治元年 3 身延 4 1054頁)

口語訳「日蓮聖人全集」より

 多くの流れが集まって大海となり、一微塵が積もって須弥山となったのである。そのように、日蓮が法華経を信じはじめたのは、日本国から見れば一滴の水か、わずかの塵のようなものである。しかしながら、法華経の題目を二人・三人・十人・百千万億人と次第に唱え伝えてゆくならば、塵(ちり)が積もって山となるように、やがて妙覚の極果(ごくか)を得た仏の須弥山ともなり、大涅槃の妙果を得た悟りの大海ともなるのである。ゆえに仏道に入って悟りを得ようとするならば、題目のほかに何物も求める必要はないのである。

鎌倉から太平洋を臨む
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