三十日 慈悲広大(じひこうだい)

報恩抄(ほうおんじょう)にいわく

 日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外(ほか)未来までもながるべし。

 

 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄(むけんじごく)の道をふさぎぬ。

 

 此の功徳は伝教(でんぎょう)天台(てんだい)にも越え、

 

 龍樹(りゅうじゅ)・迦葉(かしょう)にもすぐれたり。

 

 極楽百年の修行は穢土(えど)の一日の功に及ばず。

 

 正像(しょうぞう)二千年の弘通(ぐつう)は末法(まっぽう)の一時に劣るか。

 

 是はひとえに日蓮が智のかしこきにはあらず。時のしからしむるのみ。

 

(1 55歳 2 建治2年 3 身延 4 1248頁)

口語訳「日蓮聖人全集」より

 釈尊の御意(みこころ)のとおり、すべての人びとを救いたいと願う日蓮の慈悲の心が広大であれば、末法救済の大法である南無妙法蓮華経は万年どころか未来永劫までも弘まるであろう。日蓮の仏行(ぶつぎよう)は日本国のすべての人びとの盲目を開く功徳があり、無間地獄への道を塞ぐ。この功徳は伝教大師や天台大師を超え、竜樹菩薩や迦葉尊者よりも勝れている。極楽で積む百年間の修行の功徳も、この穢土(迷苦に満ちた凡夫の住む世界。娑婆世界)で積む一日の修行(題目受持、唱題)の功徳には及ばない。正法時と像法時にわたる二千年間もの仏教弘通の功徳は、末法における一時(いつとき)(ほんの少時間)の弘通(題目広布)の功徳には及ばない。これはけっして日蓮の智恵が賢いからではない。末法という時の必然的ありようである。

無間地獄「日蓮宗事典」抜粋より

 欲界の最底・大焦熱地獄の下にある大阿鼻地獄は無間地獄ともいわれる。サンスクリットのAvi ̄ciを音写すれば阿鼻となり、意訳すれば無救、即ち苦しみを受けることが絶え間がないから、無間(むげん)となる。広さは縦横八万由旬と前の地獄に比べて縦横とも八〇倍の広さになり、外に七重の鉄の城があるところから無間大城ともよばれる。その苦しみは前の七大地獄の一〇〇〇倍である。この地獄の罪人が大焦熱地獄の罪人を見ると、他化自在天が自由自在に楽しみを得ているように見えるほどである。それ以上詳しく述べると人々が聞くことに耐えられないので、仏は説かれなかった。

穢土「日蓮宗事典」抜粋より

 浄土に対する語。けがれた国土、煩悩・業・苦の充満する世界をいう。三界六道の苦界がこれにあたる。法華経迹門および爾前諸経で人間の住む娑婆世界を穢土と説くのはこの義による。天台宗では四土を立てるが、その一つに凡聖同居土がある。凡聖同居土とは凡夫も聖人も雑居する世界をいう。これに浄土と穢土があり、凡夫の住む娑婆世界などを同居の穢土とし、極楽世界などを同居の浄土する。法華経本門においては寿量品の「我常在此娑婆世界」等と説かれていることにより、娑婆世界を穢土、十方を浄土する考えは否定され、娑婆世界は釈尊常住の本土、十方の浄土は垂迹の穢土とされる。