十九日 仏法(ぶっぽう)と世法(せほう)

諸経与法華経難易事(しょきょうとほけきょうとのなんいのこと)にいわく

 仏法ようやく顛倒(てんどう)しければ世間も又、濁乱(またじょくらん)せり。

 

 仏法は体のごとし、世間はかげのごとし、

 

 体曲れば影ななめなり。

 

(1 59歳 2 弘安3年 3 身延 4 1752頁)

口語訳「日蓮聖人全集」より

 仏法の真実が次第に損なわれれば、人の心も乱れて世の中も濁ってしまうのである。仏法は肝心な本体のようなもので、世間はそれを映し出す影のようなものであるから、本体である仏法について正しく理解されなければ、影である世間もまがってしまう。

七面山御来光
七面山御来光

檀越某(だんのつぼう)御返事にいわく

 御(おん)みやづかいを法華経とおぼしめせ。

 

 一切世間の治生産業(ちしょうさんごう)は皆、実相と相違背(あいいはい)せずとは此れなり。

 

(1 57歳 2 弘安元年 3 身延 4 1493頁)

口語訳「日蓮聖人全集」より

 主君につかえることが、法華経を実践していることだとお考えになってみることである。法華経の法師功徳品の経文を注釈した天台大師の摩訶止観(まかしかん)の中に、「あらゆる世間の生活と産業は、みな仏の真実の知見(ちけん)と相違するものではない」と書かれているのはこのことである。

摩訶止観「日蓮宗事典」抜粋より

 『法華玄義』『法華文句』と共に天台三大部の一。玄義・文句は経の題目、経の文々句々を解説して行者に妙解を得させ、止観は前に得た妙解を妙行に移して、観心修行の方法を説く。智顗が南岳慧思に相承した止観に漸次・不定・円頓の三種があり、漸次止観は『次第禅門』一〇巻、不定止観は『六妙門』一巻、円頓止観は『摩訶止観』で説く。

 

七面山敬慎院にて
七面山敬慎院にて