⑨「すべては神である」のこと

 30歳で人生の転機を迎え、3ヶ月のインド一人旅に出る時に2つの言葉を胸に刻んだ。その一つが「すべては神である」ということである。そして最後の日にも1人のインドの若者としてメッセージを伝えに来た。


カルカッタ 帰国の日(90日間インド一周の旅より一部転載)

 今朝はフッと目覚め腕時計を見ると丁度6時。ベッドの上で深呼吸をしてからブリッジをしてウォーミングアップ、フランス人のおばあちゃんも起きだしたところ。顔を洗い、ホテルの人間はまだ寝ているが、入口にいる男がくぐり戸のカギを開けてくれ散歩にでる。もう街は動き出しておりタバコ屋や茶店はあいている。

 

 昨日チャクラバティー氏とチャーイを飲んだ小路の壁際にできている「窓店」のようなところでベンチに腰掛けチャーイを飲む。そうやって街の人々がモーニング・チャーイをとっている。ゆっくり最期のカルカッタの朝を満喫していると、ジーンズのジャンパーにルンギー、そして頭に布を巻いた若い男が「コンニチワ」と声をかけ、手に白い菓子のようなものを持ち、「オテラカラ」と言って食べろという。

 

 断って見ていると、まわりの人たちや子供にも配り出し、皆受けとって食べている。彼は街でいつも声をかけてくる「ガンジャ、ハッシッシ、ダラーチェンジ、ナニカウルモノナイ」の男の一人なのであるが、今日の気分は別に煩わしくもない。それというのも彼はかなり眠たそうな顔をし、フラフラと歩いては隣に座るのである。

 

 「ガンジャ(大麻)でも吸っているのか?」と聞くと、お寺に夜行っていたのだと言う。そして一睡もしていない。でも今日も仕事をするのだと、半分眠ってやや下向きかげんに、こちらも見ずに答える。質問してもいいかと断ってから一日に何人ぐらいと仕事が出来るかと聞いてみる。「10人の日もあるし、1人もいない日もある。でも毎日この通りで声をかけているのだ」と、やはり眠そうにコクコクしながら答える。そしてそのまま自分の話を始める。

 

 「僕には息子がいる」(彼の歳は22だそうだ)「そして妻と一緒に12キロ離れた村に住んでいる そこでは土地を耕して米を作る でも貧しい」ゆっくりゆっくり英語でそんな話をしては僕も彼のペースでうなずいたり尋ねたりする。さらに続く「この仕事を12年やっている」「日本語もここでおぼえた」「自分で勉強した」日本人旅行者に教わったのでもなく、仕事の為に彼は覚えていったのである。そしてこのサダルストリートにある19のホテルの名前を全部あげ、このホテルの界隈で毎日ツーリストを見かけては声をかけるのだと言う。

 

 今まで僕はこの手の連中が嫌いであったし、醜いと決めていた。そしてもちろん話などしたことも無かった。今日、最期の朝に彼が僕の隣に座って話しだした。まるで自分たちのことをわかって欲しいとでも言うように。一通りしゃべり終えた彼は、静かにそのまま眠ってしまったようである。チャーイの1ルピーを払い、あえて彼を起こさずそっとしたままその場を去る。

 

インド・チャイ画像検索より
インド・チャイ画像検索より