十一日 唱題の功徳

妙密上人御消息(みょうみつしょうにんごしょうそく)にいわく

 今日蓮は、已今當(いこんとう)の経文を深くまもり、

 

 一経(いっきょう)の肝心(かんじん)たる題目を、我も唱え人にも勧(すす)む。

 

 麻の中の蓬(よもぎ)、墨うてる木の、自体は正直ならざれども、自然(じねん)に直(す)ぐなるがごとし。

 

 経のままに唱うれば、まがれる心なし。當に知るべし。

 

 仏の御心(みこころ)の、我等が身に入(いら)せ給わずば唱えがたきか。

 

(1 55歳 2 建治2年 3 身延 4 1166頁)

已今當「日蓮宗事典」より

 法華経法師品の「已に説き今説き当に説かん」の文の略語で、法華経が釈尊の説かれた経典の中で最も勝れていることを言ったもの。『法華文句』の法師品釈によれば、已説とは四十余年に説かれた爾前の諸経、今説とは法華経の開経である『無量義経』、当説とは法華経以後に説かれた『涅槃経』を指す。これらは信じ易く解(さと)り易いが、法華経はこの三説に超過して最も信じ難く解り難いとする。これは劣機の凡夫の立場から見て、信じ難いものほど釈尊が真に示そうとされた教えであることを意味し、この点で法華経が最勝なることを言ったのである。日蓮聖人も『本尊抄』で、「又迹門・並びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説は悉く随他意・易信易解。本門は三説の外の難信難解・随自意也」(定七一四頁)といわれるのも法華経本門に至って三説超過、難信難解なる釈尊の随自意が開示されるとするのである。聖人はこの語をもって、諸経の義を批評し、本門並びに妙法五字を詮顕していったのである(定八一一頁)。

妙法蓮華経 法師品第十

   已説今説當説 而於其中 此法華経 最為難信難解

 

   

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