法華経を学ぶ

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)勧持品(かんじほん)第十三

龍ノ口首の座
龍ノ口首の座

 勧持品では「法華経」の教えを信じる人々が、どんなに迫害を受けても屈することなく、この教えを弘める覚悟が説かれる。勧持という事は「法華経を受持することを勧める」という意味である。正しい教えを弘める者は多くの難にあうという経文は、なにより日蓮聖人に勇気を与え、その受難のご生涯を支え続けたのである。

勧持品の大意

 提婆達多品で付属への心構えの暗示を受けて、会衆がさらに妙法の付属を懇願する中で、釈尊は、養母の摩訶波闍波堤比丘尼(まかはじゃはだいびくに)、羅睺羅(らごら)の母である耶輸陀羅比丘尼(やしゅだらびくに)へ、一切衆生喜見仏(いっさいしゅじょうきけんぶつ)・具足千万光相仏(ぐそくせんまんこうそうぶつ)として授記された。その時、八十万憶那由多(なゆた)の菩薩は、付属の誓言あらば、仏の滅後、悪口罵詈(あっくめり)・刀杖(とうじょう)を加えられても、忍んでこの経を説くことを誓った。

 

日蓮宗修養道場(石川道場)述

 

摩訶波闍波堤(マハーパジャーパティ―)

カピラバストーの城蹟
カピラバストーの城蹟

 釈迦族のシュッドーダナ王の妃マーヤーが、やがて仏陀となる太子を産んで七日後に亡くなると、その妹マハーパジャーパティ―・ゴータミー(摩訶波闍波堤)が正妃となって太子の養育にあたった。吾が子の如き愛し育てただけに、太子の出家を誰よりも嘆き悲しんだ。太子が悟りを開き仏陀と成って、カピラバストーの城に戻ったのは、それから十二年後のことであった。その時、釈迦族の若者たちの多くが出家して仏弟子となった。その中にはマハーパジャーパティ―の実子ナンダ(難陀)や釈尊の実子ラーフラ(羅睺羅)もいた。 やがてシュッドーダナ王が高齢で亡くなり、城内に残った女性たちを代表してマハーパジャーパティ―は女性の出家を願い出たが、釈尊はこの申し出を許さなかった。再三の申し出も許されなかったが、アーナンダ(阿難)のとりなしにより女性の出家が認められた。こうして仏教教団で尼僧第一号となったマハーパジャーパティ―は、すでに高齢に達していたが、熱心に修行し他の尼僧たちの模範とされ、釈尊が入滅される三ヶ月前にバイシャーリーでその生涯を閉じたと伝えられる。

耶輸陀羅(ヤソーダラー)

インドの花嫁
インドの花嫁

 ヤソーダラーは、釈尊の太子としての在家時代の妃である。才色兼備の誉れ高く、同族の王家から迎えられた。カピラバストー城でラーフラが誕生すると、すでに出家の決意をしていたシッダルタ太子は、馭者だけを連れて愛馬カンタカに乗りひそかに城を出た。馭者と馬だけが帰ってきたとき、嘆き悲しむ人々の中で太子との別離を嘆きながらも、「どうして太子を乗せて戻らなかったのですか」と馭者を責め、そこにいない太子に対しても「どうして私だけを残して出家したのですか」と、かきくどいた。そして、つぎのような誓いを立てたのである。「今日から太子の修行が終わるまでのあいだ。私は寝床に休んだり、化粧したり、きれいに着飾ったり、美味しい食事をとったりしない。たとえ、宮殿に住んでいても、太子と同じ山や野にいるつもりで苦行者の生活をしよう」そして、12年後に仏陀と成って帰郷した釈尊と再会したのである。

最初の比丘尼への授記

 薬王菩薩と大楽説菩薩が誓言を述べると、その場にいた五百人の阿羅漢たちが名乗をあげた。さらにまた学無学の八千人が立ち上がり、他の国土において人々のために法華経を説くことを誓うのであるが、釈尊はそうした菩薩たちの申し出に応えることなく、二人の比丘尼への授記がなされた。叔母の摩訶波闍波堤比丘尼に対しては一切衆生喜見如来、そして羅睺羅の母である耶輸陀羅比丘尼へは具足千万光相如来と成るであろうと。二人が女人として最初の授記を受けたことは、一緒に出家した他の女性たちに大きな希望を与えたのである。

三類の強敵(ごうてき)

 勧持品の二十行の偈文において、末法の世に法華経を弘めるものに迫害を加える増上慢(ぞうじょうまん)のことが説かれる。

 

1、 俗衆(ぞくしゅう)増上慢

 法華経以外の諸経を信じて、法華経を弘めようとする人たちを悪口罵詈(あっくめり)し、刀杖(とうじょう)を加える在俗の人たち

 

2、 道門(どうもん)増上慢

 出家者でありながら、よこしまな知恵をもち、媚びへつらう心を持ち、いまだ悟りを得てもいないのに、悟りを得たと思い込んでいる人たち

 

3、 僭聖(せんしょう)増上慢

 阿練若(あれんにゃ)と呼ばれる山林などの静かなところに住み、常に糞掃衣(ふんぞうえ)というぼろ布を縫い合わせた衣を身にまとい、いかにも持戒堅固の聖者のような姿で世間の尊敬を集めているが、その内心では名利にとらわれ、しかも他人を軽蔑している見せかけだけの偽善者。

 

 これらはいずれも法華経の行者に対して迫害を加えることから「三類の強敵」と呼ぶ。

 

忍辱(にんにく)の鎧(よろい)

「我等仏を敬うが故に、悉くこの諸悪を忍ばん。これに軽しめて汝等は、皆これ仏なりと言われん。かくの如き軽慢の言を、皆まさに忍んで之を受くべし。濁劫悪世(じょっこうあくせ)の中には、多く諸々の恐怖あらん。悪鬼その身に入って、我を罵詈毀辱(めりきにく)せん。我等仏を敬信(きょうしん)して、当に忍辱の鎧をきるべし」

 

経文の引用より

 

不惜身命(ふしゃくしんみょう)

 日蓮聖人が佐渡の配所に出発するにあたって法華経の行者としてのお言葉が「佐渡御勘気抄」というお手紙にある。

 

「本より学文し候し事は仏教をきはめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思ふ。仏になる道は、必ず身命をすつるほどの事ありてこそ仏にはなり候らめと、をしはからる。既に経文のごとく、悪口罵詈(あっくめり)、刀杖瓦礫(とうじょうがりゃく)、数数見擯出(さくさくけんひんずい)と説れて、かゝるめに値候こそ法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり、後生もたのもしく候。死して候はば、必ず各各をもたすけたてまつるべし」

 

佐渡霊蹟本山 塚原山根本寺
佐渡霊蹟本山 塚原山根本寺