法華経を学ぶ

「妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)化城喩品(けじょうゆほん)第七

   (チベットの仏教画)
   (チベットの仏教画)

前の「授記品」の最後に於いて「我及び汝等が宿世の因縁、我、今当に説くべし」とある如く、これから仏であるお釈迦様と成仏の予言である記別を授ける仏弟子たちの宿世の因縁を説くのがこの経である。「化城喩品」と言われるのは、この経の最後に化城宝処の喩えが説かれるからである。

 

化城喩品の大意

三千塵点劫(さんぜんじんてんこう)という非常に古い昔、大通智勝如来(だいつうちしょうにょらい)という仏がおられた。この仏が成道されたという事を聞いた十六人の王子〈この仏の出家したまわざる時の子〉は父の仏所にまいり、法を説かれることを要請した。また、大通智勝仏が成道した時、十方の諸仏の世界が震動し日月の光さえも照らすことのできない所まで明らかとなり、その中の衆生が相互いにまみえることができるという奇瑞(きずい)があった。このような威光(いこう)照動(しょうどう)は十方の梵天(ぼんてん)の宮殿にも現れたため、梵天はこぞって大通智勝仏の説法を勧請(かんじょう)するに至ったのである。

 

さらに十六人の王子は如来の知見を志願し、出家して沙弥(しゃみ)となった。大通智勝仏は沙弥の要請を受けて妙法蓮華経を説いたのである。かくて大通智勝仏は禅定(ぜんじょう)に入り、以後、十六人の沙弥菩薩(しゃみぼさつ)は長い間、法華経を多くの人々に示した。そしてその教えを聞いた多くの人々は生まれかわりながらして法華経の教えを信受して尽きることがなかったのである。

 

この十六人の菩薩は現在、仏となり、十方の国土で法を説かれている。東方世界には阿閦仏(あしゅくぶつ)と須弥頂仏(しゅみちょうぶつ)、東南方世界では師子音仏(ししおんぶつ)と師子相仏(ししそうぶつ)、南方世界では虚空住仏(こくうじゅうぶつ)と常滅仏(じょうめつぶつ)、西南方世界では、帝相仏(たいそうぶつ)と梵相仏(ぼんそうぶつ)、西方世界では阿弥陀仏(あみだぶつ)と度一切世間苦悩仏(どいっさいせけんくのうぶつ)、西北方世界では多摩羅跋栴檀香神通仏(たまらばっせんだんこうじんつうぶつ)と須弥相仏(しゅみそうぶつ)、北方世界では雲自在仏(うんじざいぶつ)と雲自在王仏(うんじざいおうぶつ)、東北方世界では壊一切世間怖畏仏(えいっさいせけんふいぶつ)を教主として教えが弘められたのである。そして第十六番目のお釈迦様はこの娑婆国土(しゃばこくど)の教主となられたのである。

 

今、仏の記別(きべつ)に会う人々は過去にこの法華経の教えを聞いた人々であり、それによってここで仏になれたのである。仏になるとはこうした一仏乗妙法(いちぶつじょうみょうほう)の教えによってこそできることであり二乗(にじょう)ではできないのである。「化城宝処(けじょうほうしょ)の喩え」はこの一仏乗妙法の教えを知らしめんがために化城として二乗を説いた理由を述べたものである。私達の知るべきことは今、成仏するためには過去の因縁をわきまえることでもあるのである。

 

                      日蓮宗修養道場(石川道場)述

 

三千塵点劫の昔

三千大千世界とは古代インドの宇宙観である。須弥山(しゅみせん)を中心に四つの大陸があり、九山八海によって囲まれている。これを一小世界と呼ぶ。この小世界が千集まったものを小千世界といい、小千世界が千集まったものを中千世界、中千世界が千集まったものを大千世界と呼ぶ。千の数が三回掛け合わされるところから大千世界を三千大千世界という。実際は千の数を三回掛け合わせるので、十億の小世界によって構成されていることになる。

 

譬えば人が三千大千世界を磨り潰して墨の粉にし、東に向かって千の国土を過ぎたところでその塵を置くとする。そして又千の国土を過ぎて、また塵を置くとする。このようにして墨の塵が尽きたとしよう。このようにして経過した国土の数を誰か知ることが出来るであろうか。さらにこの人が経過した国土の、塵を置いたのと置かなかったのを、合わせて、全ての国土を抹して塵とし、一塵を一劫とする。かの仏が滅度して経過した劫数は、この数を越えること無量無辺、百千万憶、阿僧祇劫(あそぎこう)である。

 

劫(こう)とはインドの数の単位でカルパといい、ヒンズー教では43億2千万年とされる。仏教では実数は示されないが、たとえとして四十里四方の岩山を天女が三年に一度、羽衣で擦り滅尽する時間という説明がある。

 

大通智勝仏とは

大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)の寿命は「五百四十万憶(まんのく)那由他劫(なゆたこう)」という長い年月であった。那由他はインドの単位で千億のこと。その仏が成道する前、道場に坐して魔軍を降伏し終ってから禅定に入ったまま微動さえしなかった。そこで天上界の神々が菩提樹の下に師子座(仏の坐る座)を造り、梵天王たちは天上界の華を降らし、四天王の家来たちは鼓をうち、他の天人たちは天上界の音楽を奏でてその時を待った。そして十小劫を過ぎて大通智勝仏は最高の悟りを得ることが出来た。

 

大通智勝仏は出家する前に十六人の王子がいた。その子供たちは父親が最高の悟りを開いたと聞いて、自分達も出家して修行することを望んだ。王子の母や叔母たちは涙を流してこれを送った。大通智勝仏の父、すなわち王子たちの祖父にあたる天輪聖王(てんりんじょうおう)も、大勢の家来や人民を引き連れて仏を供養し讃嘆した。

 

十方の梵天の供養と勧請

法華経の経文は東方の梵天王の供養と勧請に始まって、東南方と南方との梵天の供養と勧請を述べている。西南方、西方、北西方、北方、北東方及び下方については省略し、最後に上方の梵天王の供養と勧請について記している。回向文として有名な「願わくはこの功徳を以て、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん」という文は、上方の梵天王が大通智勝仏を讃嘆し供養する言葉である。

 

 

十方の梵天王たちの勧請の文について、中国の天台大師は、東方、東南方の梵天王たちは小乗の法を請い、南方の梵天王たちは大乗の法、中にも方等時(ほうどうじ)の説法を請い、上方の梵天王たちは大乗の法の中にも般若時(はんにゃじ)の説法を請うていると釈している。

 

四諦と十二因縁

多くの梵天王や十六王子から、どうぞ教えを説いて下さいと懇請された大通智勝仏は、最初に四諦(したい)と十二因縁(いんねん)の教えを説く。これは声聞と縁覚という二乗の段階の教えで小乗の法である。譬喩品第三のでは「三車火宅の譬え」の中で火事の家から子供たちを呼び出す為の手立てとしての羊車と鹿車にあたる。どちらも人間の苦しみの原因である煩悩を、如何にして取り除くかを説いたものである。

 

四諦とは四つの真理と言う事である。すなわち①苦諦(くたい)②集諦(じったい)③滅諦(めったい)④道諦(どうたい)をいう。①苦諦とは人生は苦であるという心の真理、②集諦とは苦の原因は無明(むみょう)にあるという真理、③滅諦とは煩悩を消滅させた理想の境地、④道諦とは理想の境地に到達するにはどのような修行をしたらよいかを説く。

 

道諦において煩悩を断滅する八つの正しい道「八正道(はっしょうどう)」が説かれる。それは①正しい見解「正見」、②正しい意志「正思惟」、③正しい言葉遣い「正語」、④正しい行い「正業」、⑤正しい生活「正命」⑥正しい努力「正精進」、⑦正しい念(おも)い「正念」、⑧正しい心「正定」である。

 

 

次に十二因縁。経文は「無明(むみょう)は行(ぎょう)に縁(えん)たり、行は識(しき)に縁たり、識は名色(みょうしき)に縁たり、名色は六入(ろくにゅう)に縁たり、六入は触(そく)に縁たり、触は受(じゅ)に縁たり、受は愛(あい)に縁たり、愛は取(しゅ)に縁たり、取は有(う)に縁たり、有は生(しょう)に縁たり、生は老死(ろうし)の憂悲苦悩(うひくのう)に縁たり」と説く。

 

十二因縁を構成している生存の相とは、①無明(無知)、②行(潜在的形成力)、③識(心作用)、④名色(精神と肉体)、⑤六入(六つの感覚器官、眼・耳・鼻・舌・身・意)、⑥触(心が対象と接触すること)、⑦受(感受作用)、⑧愛(愛欲、妄執)、⑨取(執着)、⑩有(生存)、⑪生(生まれていること、生きること)、⑫老死(老いゆくこと、死ぬこと)である。

 

法華覆講(ほっけふくこう)

大通智勝仏が四諦、十二因縁の法を説かれた時、六百万億那由他の人々は、一切のとらわれたものの見方から自由になって、煩悩から解脱した。ここでいう解脱とは小乗の悟りをいう。仏は必ず先に方便の教えを説き、後に方便を開いて真実を顕わすのである。

 

大乗の教えに入り方等時の説法では、小乗を恥じて大乗を慕う心を起させ、般若時の説法では、小乗と大乗との間には隔たりがあると思う心をなくさせた。続いて法華経が説かれ、十六人の王子と声聞衆の一部は信解したが、その他の衆生は皆疑惑を生じた。大通智勝仏は法華経を説いた後、深い禅定に入ったので十六人の沙弥菩薩(しゃみぼさつ)は彼らのために各々が法座に昇って広く法華経を説き明かしたのである。

 

法華経を繰り返して説くことを法華覆講という。そして同じ法華経であっても、大通智勝仏の縁によって得度する者もあれば、十六人の王子の縁によって得度する者もいるということである。

 

下種(げしゅ)と結縁(けちえん)

大通智勝仏のみもとで十六人の沙弥菩薩と縁を結んだ衆生は、今日のお釈迦様の法華経説法の会座に至るまでその中間において、菩薩と生生世世(生まれ変わり死に変わり)値遇することができ、菩薩の教化を受けてきたのである。

 

天台大師は中間に逢い合う者に三種類あると釈している。

第一類の者は、法華経を正しく信解した者で、その中間においても大乗によって導かれ、すでに成仏を遂げている。

第二類の者は、一度は法華経を信解していながら、途中に退転してしまったために、小乗をもって化導し、今日のお釈迦様の教化に出会って、大乗を学んでいる者たちです。つまりお釈迦様の二乗の弟子たちがこれに当たる。

第三類の者とは、十六の菩薩の法華経覆講を聞いても疑惑を生じて信受しなかった者で、中間には小乗の教化を受け、今日のお釈迦様のもとで小乗の教化を受けている者である。さらにお釈迦様のもとで初めて大乗の教化にも浴しているが、得度するのはお釈迦様滅後の後の世においてである。

 

ここで法華経の説法を聞いて、下種される者と、結縁する者との相違があることを知らねばならない。下種とは法華経を聞いて信解し、法華経の教えに基づいて如来の智慧をもとめる心である菩提心を発することをいう。これに対し結縁とは法華経を聞いたものの、自ら発心するまでには至らなかったことをいう。しかし法華経との縁が結ばれ、未来世に法華経と出会えるようになるのである。

 

つまり、第一類の者は下種し、第三類の者は結縁にとどまり、第二類の者は、一分は下種し、一分は結縁にとどまる者に分かれているのである。

 

化城宝処(けじょうほうじょ)の喩え

三千塵点劫のその昔、大通智勝仏のもとで王子から法華経を聴聞して、深く心にその教えを刻んで、道心を発したことを「下種」という。後に退転したものの、中間において王子と共に転生をくり返して、小乗の教化を受け、インド成道のお釈迦様のもとで声聞の弟子となり、阿含(あごん)、方等(ほうどう)、般若(はんにゃ)の説法教化を受けて来たことを「調熟(ちょうじゅく)」という。

 

そして、今再び法華経を聞いて一仏乗に入り、授記されて成仏が決定することを「解脱」という。下種し、調熟し、解脱することを「種熟脱(しゅじゅくだつ)の三益(さんやく)」と呼ぶ。化城喩品はこの三益を説いた後、たとえを挙げて再説する。それが「化城宝処の喩え」である。

 

ここに五百由旬という険しい困難な道がある。この険しい道を宝を求めて進んで行く人々がいる。一行の中には先の先まで見通すことが出来る聡明な導師がいた。途中までこの道を進んでゆくと、一行のなかの弱い人が「とても疲れてしまい、この怖い道を進んで行くことができない。先はまだまだ遠いので、今から引きかえしたい」と言った。

 

この導師は心の中で思った。「この人たちはかわいそうな人たちだ。宝を捨てて引き返そうとしている」と。そこで方便の力を用いた導師は、道のりの半分より向こうに一つの幻の城を造った。導師は仲間に言った。「みなさん心配はいりません。引き返す必要はありません。この城の中に入れば休息できます。ここで休んでさらに宝を取りに行けばよろしいですよ」と。これを聞いた人達は大喜びでその城の中で休息した。すっかり疲れがとれたとみた導師は、この幻の城を消して「さあ宝はすぐ近くにある。だから元気を出して行こう。もうすぐその場所へ着きます。幻の城は一休みして気をとりなおすために自分が造ったものです」と言った。こうして一行を宝の場所に導いて宝を手に入れさせたのであった。

 

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