法華経を学ぶ

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)如来神力品(にょらいじんりきほん)第二十一

はじめに

 法華経二十八品の中で「如来」と名前についているお経は二つだけ、一つは如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)でありもう一つがこの如来神力品である。そのことからも、この神力品は寿量品と非常に大きなかかわりがあるのだということがわかる。一言で云えば寿量品は仏さまの永遠のいのちを説いたものであり、神力品はその永遠のいのちをもった仏さまの働きについて説いているのである。

如来神力品の大意

 かくて、地涌(じゆ)の菩薩達が仏の滅後に広く妙法を説くことを決意したとき、釈尊は、広長舌(こうちょうぜつ)を出し梵天(ぼんてん)に至らしめ、一切の毛孔(もうく)より無量無数の色光等の大神力(だいじんりき)を放たれた。

 

 また、十方の諸仏も広長舌を出し、十方世界の大地が六種に震動した。十方世界の衆生は釈尊・多宝仏をはじめ諸仏・諸菩薩を礼拝し歓喜していると、十方世界は一つの仏土となり、曼荼羅(まんだら)の姿を醸し出した。

 

 この時、上行等の菩薩大衆に対して、妙法を付属せんがために、四句要法(しくようぼう)の法を勧められた。

 

日蓮宗修養道場(石川道場)述

 

十種の神力

 すべての衆の前で仏が示した十種の神力について、その解釈をあげると

 

①出広長舌(すいこうちょうぜつ)

 仏が舌を出したというのは仏の説く教えが絶対に真実であることをあらわしている。釈迦仏が舌を出すとともに、無数の他の仏も舌を出したということは、その説くところはただ一つであることをあらわす。これを昔から「二門信一(にもんしんいつ)」とする。二門とは法華経の前半分の「迹門(しゃくもん)」と後の半分の「本門(ほんもん)」である。迹門は一代にわたって生きられた釈尊の教えを説いたもの、本門は久遠(くおん)の本仏の教えを説いたものといわれている。

 

②毛孔放光(もうくほうこう)

 一切の毛孔より光を放つということである。光は絶対の真理の喩えである。光を放つことを昔から「二門理一(にもんりいつ)」という。本門と迹門の教えによって説かれる真理が一つであることをあらわす。

 

③一時謦欬(いちじきょうがい)

 声を発することは人々に教えることであり、迹門の教えも本門の教えも、全く一つであることをあらわすので「二門教一(にもんきょういつ)」といわれる。相手の能力に応じて教え方は違うが、教えることの目的は一つであり、帰するところは一つである。一時に声を出したということは、そのことを物語っている。

 

④俱共弾指(ぐくたんじ)

 指で弾くことは約束すること、請けあうことである。皆いっしょに指を弾いたことは、皆が必ず請けあって実行するということになる。迹門も本門も菩薩行を説いており、人のために教えを説くのである。人のために説くことはとりもなおさず自分のためでもある。自と他が一つになりきってゆく。これを「二門人一(にもんじんいつ)」という。

 

⑤六種地動(ろくしゅじどう)

 地面が動いたことは天地が感動したことで、教えを説く人の心が一切のものに及んでゆくことをいう。「二門行一(にもんぎょういつ)」といわれるのは、どんな人でもこの教えを実行してゆけば、必ず天地を感動させることが出来るような浄土を、この世に実現できることを示している。迹門も本門も菩薩行を実行するための教えなのである。

 

⑥普見大会(ふけんだいえ)

 十方の世界のありとあらゆるもの、境遇も知識も能力もまったくちがったものたちも、仏の神力によって必ず娑婆世界の仏のすがたを見ることができるということを意味している。どんな人でもこの教えに従って修行すれば、将来においては、同じように教えをほんとうに知ることができることを「未来機一(みらいきいつ)」という。未来においては、ありとあらゆる人々の機根が一致するときがくることをあらわす。

 

⑦空中唱声(くうちゅうしょうしょう)

 空中で声が聞こえたことをさす。十方の世界にいる者は、この空中の声を聞いてびっくりした。どんな世界にいる者も、娑婆世界にいる釈迦仏を拝みなさい、という声であったからである。これは、どんな教えもどんな国土の人々も未来において信じる教えは一つであることを示している。これを「未来教一(みらいきょういつ)」という。

 

⑧咸皆帰命(かんかいきみょう)

 十方世界のものが、みな娑婆世界にいる釈迦仏に合掌し礼拝したということは、どの世界の人々も最後には仏に帰依するときがやってくるということである。これを「未来人一(みらいじんいつ)」という。未来においてはどんな人もただ一人の釈迦仏に帰依するようになる。

 

⑨遥散諸物(ようさんしょもつ)

 天上界からあらゆる宝や華や香が仏に捧げられたことは、「未来行一(みらいぎょういつ)」といい、未来においては人々の行いはみな一つになることをあらわす。人間の行いは仏の御心にかなうことを目的として一つになってゆかなければならない。

 

⑩通一仏土(つういちぶつど)

 十方世界が互いに通じあって一つの世界になるというのは、「未来理一(みらいりいつ)」をあらわす。未来においてはありとあらゆる教えは一つに帰着する。その一つの教えは絶対の真理であるからである。

 

四句の要法

 釈尊は十神力を現されて後、要を結んで上行菩薩をはじめとする地涌の菩薩たちに法華経を付属される。この経に説かれている四つのことを挙げると

 

①「如来の一切の所有の法」

 仏がお悟りになった一切の内容をいう。法には、教え、真理、規範というような意味があるが、ここではこのすべてを含んだ仏の悟りの内容をいう。仏が悟った絶対の真理である。

 

②「如来の一切の自在の神力」

 絶対の真理を悟られた仏は一切の衆生を救うために、自在の不思議なはたらきをする、それが自在の神力である。どんなところでも、どんな人にたいしても、そのはたらきをあらわすことができるので自在という。

 

③「如来の一切の秘要の蔵」

 仏はどんな場合にもどんな人にも教えを説くことができるので、いかなる教えもその胸の中にしまいこまれているということである。それを秘要の蔵という。

 

④「如来の一切の甚深の事」

 仏が行われた一切の尊い修行のことである。事とは実行してあらわれたものをいう。仏が行われたことの一切である。

 

 

 

即是道場(すなわちこれどうじょうなり)

 そして、如来滅後の修行について経文では

 

「まさに一心に受持(じゅじ)、読誦(どくじゅ)、解説(げせつ)、書写(しょしゃ)し、説の如く修行すべし」

 

と説かれる。

 

 しかもその修行は一心に行わなければならない。この法華経を信じて修行する者がいる処では、園の中でも、林の中でも、樹の下でも、寺院の僧房の中でも、在家の人の家でも、あるいは立派な殿堂であっても、さらには山谷、広野においてでも、塔を建てて法華経の祈りを我が祈りとするのである。

 

 経文の長行(じょうごう)は

 

「当に知るべし、この処は即ち是れ道場なり。諸仏ここにおいて阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を得、諸仏ここにおいて法輪を転じ、諸仏ここにおいて般涅槃(はつねはん)したもう」

 

と結ばれる。

 

引用文献

「法定妙意抄」

「法華経講話」田中日淳猊下講述

「法華経を読む」鎌田茂雄先生著