法華経を学ぶ

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)常不軽菩薩品(じょうふきょうぼさつほん)第二十

我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 當得作仏

南無妙法蓮華経

 

「我深く汝等(なんだち)を敬う 敢えて軽慢(きょうまん)せず 所以(ゆえ)は何(いか)ん 汝等皆菩薩の道を行じて 當(まさ)に作仏(さぶつ)することを得べし」

 

はじめに

 これまで如来寿量品で明かされた久遠の本仏を信じて修行をすれば、これだけの功徳があると、分別功徳品・随喜功徳品・法師功徳品で説かれてきたが、それでは実際に法華経を修行するということはどういうことなのか、そのことを常不軽という名前の菩薩を中心に説かれたのがこの常不軽菩薩品である。

 

 日蓮大聖人はこの常不軽菩薩品を非常に大切に受け止めている。「崇峻(すしゅん)天皇御書」という四条金吾さんに宛てたお手紙の中に次のように書かれている。

 一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬いしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐(ほんかい)は人の振舞(ふるまい)にて候けるぞ。

 

常不軽菩薩品の大意

 昔、常不軽という菩薩比丘がいた。この菩薩は経典を読まず、深く敬い礼拝することを自らの行とした。この行いは、人々をして多くの誤解を生じ、無知の人々から罵倒(ばとう)を生んで行ったのである。それでもこの菩薩は耐え忍んで礼拝を行としていったのである。かくして常不軽菩薩が寿命を終わらんとする時、以前に威音王仏(いおんおうぶつ)が説かれていた法華経の教えを聞いて、寿命を増し以後長い間、法華経をもって多くの人々を教化した。

 

 この常不軽菩薩とは、釈尊の前身であり、罵倒した人々は、長い間地獄の苦を受けることになったが、この罪を終えて常不軽菩薩の導きにより、仏の道に入った。それが、今ここにいる五百の菩薩達なのである、と。即ち、前回までの、教えを探求する立場から、自らを戒める中に教えが息づいていることを示そうとしたのがこの巻と言える。言い換えれば、妙法という教えによって六根清浄をえるという説き方ではなく、自らを戒めることによって妙法に値えるという行の立場から示そうとしたのがこの品と言える。

 

日蓮宗修養道場(石川道場)述

 

威音王如来(いおんおうにょらい)

 昔、威音王如来という仏がいた。その仏がいた時代を「離衰(りすい)」と名づけ、その国を「大成(だいじょう)」といった。その威音王如来は天、人、阿修羅(あしゅら)のために教えを説いた。声聞(しょうもん)のためには四諦(したい)の教えを説いて、生老病死という苦しみからまぬがれるようにした。縁覚(えんがく)を求める者には十二因縁の教えを説き、菩薩を求める者には六波羅蜜(ろくはらみつ)の教えを説いた。

 

 この仏の寿命は大変ながく、すべての衆生を救済して涅槃に入った後、正法(しょうぼう)という正しい教えが行われる時代がすぎ、像法(ぞうほう)という教えがかたちばかりになる時代が終わるころ、またこの国に仏が現われた。その名は威音王如来であり、このようにして二万億回おなじ名前の仏が現われたのである。

 

礼拝の行

 最初の威音王如来が滅度し、正法の時代が過ぎ像法の時代になった時、増上慢(ぞうじょうまん)の比丘(びく)がさかんになった。増上慢の比丘とは、自分はすべて分っていると驕りたかぶった人々のことである。その時に一人の菩薩が現われた。この菩薩は人を見ると必ず手を合わせて礼拝しこのように言った。

 

「我深く汝等(なんだち)を敬う 敢えて軽慢(きょうまん)せず 所以(ゆえ)は何(いか)ん 汝等皆菩薩の道を行じて 當(まさ)に作仏(さぶつ)することを得べし」

 

 私はあなたたちを敬い、決して軽んじたりいたしません。何故ならあなたたちは菩薩道を修行して、必ず仏に成られるからです。と述べ、経典を読誦せずにもっぱら礼拝を行とした。人々の中には見知らぬ者に拝まれる筋合いはないと腹を立て、杖で打ったり石を投げたりする者もいたが、遠く避けて先の言葉をくりかえし礼拝したのである。このことを揶揄して増上慢の比丘たちは、この菩薩を「常不軽」と呼んだのである。

 

増上慢と不軽

 増上慢と対極にあるのが不軽の心である。増上慢が人を見下す心であるとするなら、不軽の心は自他一如(わけへだてのない)の心である。小我は己に固執し、大我は己を捨てて他を育もうとする。常不軽菩薩は衆生の本質が仏性(永遠の仏のいのち)にあることを知っていたのである。

仏身を見る

 涅槃経に「悉有仏性(しつうぶっしょう)」が説かれていることから、常不軽菩薩はすべての人に仏性を見ていたのだと言われるが、仏性を見るというような抽象的な表現ではまだ不十分で、より積極的な言い方をすれば、常不軽菩薩は明らかに「仏そのもの」を見ていたのである。

 日蓮大聖人は「観心本尊抄(かんじんほんぞんしょう)」の中で「不軽菩薩は所見の人に於いて仏身を見る」と書かれている。そして、礼拝するということは仏性が仏性を礼拝するのであるから、双方がそのまま仏があらわれた相(すがた)、すなわち仏身であるといえる。このように積極的に信じる心でうけとめる世界が南無妙法蓮華経のお題目の世界であると言える。

 さらに日蓮大聖人は「顕仏未来記」でこのように言われている。「彼の二十四字と此の五字とそのことばことなりといえども、その意これ同じ。彼の像法の末とこの末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜(しょずいき)の人、日蓮は名字(みょうじ)の凡夫なり。」ここで言う二十四字とは常不軽菩薩が唱えた「我深敬汝等 不敢軽慢 所以者何 汝等皆行菩薩道 當得作仏」の言葉であり、五字とは言うまでもなく「妙法蓮華経」の五字である。

順縁と逆縁

 仏は、得大勢(とくだいせい)菩薩に対して常不軽菩薩の因縁をずっと話してきたが、いよいよ仏はここで種あかしをする。その時の常不軽菩薩とは、実は他人ではなく、今の自分(釈尊)がすなわち遥か昔の常不軽菩薩にほかならないと。「自分は前世から威音王如来をはじめ、日月燈明仏や雲自在燈王仏などたくさんの仏から教えを受けて、それを守り、読誦し、教えを人々のために説いてきたから、このように速やかに悟りを開くことができたのである」と言われた。

 さらに釈尊は得大勢菩薩に種あかしをする。昔、常不軽菩薩を軽んじ迫害を加えた人とは一体誰であろうか。それは現に今ここにいる大勢の菩薩や比丘や在家の信者たちである。この人々は昔、常不軽菩薩の言うことなどまったく聞かず、迫害を加えていた人であったが、今は仏の教えをしっかり修行して、心が退転することがないまでになっていることを明らかにした。これは逆縁ということである。仏法に逆らって迫害を加えたことが、かえって深い縁となって仏の教えを学ぶようになったことを示している。

 

 縁には順縁と逆縁がある。順縁というのは仏の教えが説かれた時、素直によろこんで仏の教えを聞き、しだいに教えを実行するようになることである。逆縁というのは、仏の教えが説かれると、それを非難し迫害を加えるために集まってくる人々のことである。この人たちは初め迫害したのであったが、後には立派に仏の教えを実行するようになったのであるから、この人々を逆縁というのである。

 

 日蓮大聖人の生涯は、順縁よりもほとんど逆縁のご一生であった。大聖人はそれに屈することなく、自らを常不軽菩薩になぞらえて、真実の教えを説いたのであった。法華経の教えを一生懸命に説けば説くほど、逆縁はさらに強く、相手は反抗し、非難し、迫害を加えてくる。しかし彼らも次の世においては、さらに無限の来世においては、仏の教えを聞き、従い、信じてゆく順縁者となる。この確信が大聖人のご生涯を支えたのである。

 

引用文献

「法定妙意抄」

「法華経講話」田中日淳猊下講述

「法華経を読む」鎌田茂雄先生著