法華経を学ぶ

妙法蓮華経 従地涌出品(じゅうじゆじゅつほん)第十五


霊鷲山から見下ろす大地
霊鷲山から見下ろす大地

 法華経二十八品の前半十四品が終わり、いよいよここから法華経も後半に入る。法華経を理解する教義の上では、前半は迹門(しゃくもん)、後半を本門(ほんもん)と呼ぶ。「迹」とは垂迹(すいじゃく)するという意味で、本地(ほんじ)の仏が衆生教化のために身を現ずることをいう。つまり、前半十四品を迹仏(しゃくぶつ)としてのお釈迦さま、後半を本仏(ほんぶつ)としてのお釈迦さまが説かれていると見ることができる。従地涌出品において大地から無数の高貴な菩薩たちの出現により、次の如来寿量品においてお釈迦さまの本地が明かされることになるのである。

 

従地涌出品の大意


見宝塔品(けんほうとうほん)第十一にて、如来の滅後において法華経を弘める者を求めたのに対し、会衆(えしゅう)はそれを懇願したが、釈尊は弘める者より、付属(ふぞく)への心構えを前の三品(提婆品・勧持品・安楽行品)で示してきた。ここでは、それを受けて弘める者に目が向けられる。妙法付属への懇願は他方の国土の菩薩たちにまで及ぶ中、釈尊は、妙法付属に値(あたい)する六萬恒河沙等(ろくまんごうがしゃとう)の菩薩を示される。すると、娑婆世界(しゃばせかい)の地が裂け、六萬恒河沙等の菩薩が各々六萬恒河沙等の菩薩を従えて涌き出て、空中に上り、釈尊・多宝如来を礼拝した。


その時、上首(じょうしゅ)たる上行(じょうぎょう)・無辺行(むへんぎょう)・浄行(じょうぎょう)・安立行(あんりゅうぎょう)の四菩薩は、釈尊が長い間の教化によって疲労はないかと申した。釈尊は、これに対し、そうした疲労は無い。なぜかと言えば、これらの人々は過去に我が化を受け、諸仏において善根(ぜんこん)を種(う)えたものであり、信受(しんじゅ)し、如来の慧にすぐに連なってくれるからである、と。


これを聞いた弥勒菩薩(みろくぼさつ)は多くの菩薩たちと共に疑いを起した。今までに見たことも聞いたこともない地涌(じゆ)の無数の菩薩はどういう菩薩なのか、と。この時、釈尊はこの娑婆世界で成道(じょうどう)以来の初発心(しょほっしん)の弟子なることを明かすのである。これを聞いた弥勒菩薩は益々心に疑惑を生じ、「釈尊は、成道以来、四十余年しかたっていないのに、どうしてこれだけ無数の弟子を教化できたのであろうかと、迷いに近い疑いへと心を動かしたのである。そして、ぜひこの疑いを除きたまえと、ひたすら懇願するのであった。

 

かくして、この疑いと共に、如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)の広大なる姿のベールが取られようとするのである。

日蓮宗修養道場(石川道場)述


止(や)みね、善男子


先の見宝塔品において、お釈迦さまがわが滅度の後に法華経を弘める者はいないだろうかと呼びかけたことに応えて、八恒河沙(ガンジス河の砂の数の八倍)を超す、他方から来た多くの菩薩たちが、お釈迦さま滅後の娑婆世界において、人々のために説くことを申し出るのである。

 

ところがお釈迦様は「止みね、善男子。お前たちがこの法華経を護持することはない」と退けてしまう。なぜなら、娑婆世界には大地の下方の空中にもともと六萬恒河沙にも及ぶ菩薩たちがいる。その六万のガンジス河の砂の数にも及ぶ菩薩のおのおのには、同じ数ほどの眷属たちがいて、これらの者たちこそが、この娑婆世界において法華経を弘める者たちなのであるというのである。その言葉が終わるやいなや、この娑婆世界の三千大千世界の国土が皆振動して、大地が裂け、その中から無量千万憶の菩薩が同時に涌出したのである。

 

地涌の菩薩


 この大地から涌出した地涌の菩薩は、我々の住む娑婆世界の菩薩である。これに対し、八恒河沙に過ぎたる菩薩というのは、他方の菩薩であって、もともと娑婆世界以外の様々な世界で活躍すべき菩薩なのである。


 地涌の菩薩は、その身が金色に輝いていたばかりか、仏様の三十二相をそなえ、無量の光明を放っていた。この菩薩たちは地下の虚空界(こくうかい)に住んでいた人たちで、お釈迦さまが呼びかける声を聞いて、地下から現れてきたのである。

 この地涌の菩薩たちの中に四人の導師がいた。それは上行、無辺行、浄行、安立行の四菩薩である。四人の菩薩の名前は、この世のすべてを構成する「地・水・火・風」の四大あらわし、上行は火に、無辺行は風に、浄行は水に、安立行は地に、それぞれなぞらえ四人の菩薩の働きは、この世を構成する四大の働きそのものを象徴する。それゆえ、これら四人の菩薩は地涌の菩薩たちの唱導師とされるのである。


2002年11月 霊鷲山山頂にて
2002年11月 霊鷲山山頂にて

如蓮華在水(にょれんげざいすい)


 この娑婆世界という現実世界は、穢れたところであり、人間のはてしない欲望が渦巻いた住みにくい世界であると長い間にわたって考えられていた。その娑婆世界の地の底から、金色に輝いた光徳の菩薩たちが無数に涌出してきたのである。経文には「善く菩薩の道を学して、世間の法に染まらざること、蓮華の水に在るが如し。地より涌出し、みな恭敬の心を起して、世尊のみまえに住せり」とある。弥勒菩薩をはじめ八千恒河沙の菩薩たちはいちように、これはどういう事なのであろうかと疑念を抱き、弥勒菩薩が代表してお釈迦様に問いかけたのである。

 

 「世尊は皇太子の位を捨てて出家し、ブッダガヤの菩提樹の下でお悟りをひらかれてから、まだわずか四十余年しかすぎておりません。にもかかわらず、このわずかな短い期間に、無限ともいうべき多くの数の、これら大地より涌出した菩薩たちを教化するようなことができたのでしょうか。とても信じ難いことです。それはたとえば、色美しい黒い髪の二十五歳の青年が、百歳の老人を指して、これは私の息子であると言い、百歳の老人もその青年を指して、これは私の父である、私を養育してくれたものであるというようなものです。いったいこれはどういうことなのでしょうか」

 

 この弥勒菩薩の問いかけをもって、この従地涌出品は幕を下し、この問いかけに対する答えは、つぎの如来寿量品において久遠実成の本仏(久遠の昔に成仏して以来、この娑婆世界において常に法を説き、衆生を教化している久遠のいのちをもった仏さま)というものを、お釈迦さまご自身が解き明かされるのである。

 

 

                     以上 田中日淳猊下講述「法華経講話 上」参照

北インド・ピプラワー遺跡の蓮池
北インド・ピプラワー遺跡の蓮池