法華経を学ぶ

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)提婆達多品(だいばだったほん)第十二

北インドであった少女プージャ
北インドであった少女プージャ

 提婆達多品のテーマは、当時大乗仏教が直面した二つの問題、悪人成仏(あくにんじょうぶつ)と女人成仏(にょにんじょうぶつ)である。まず前半において、仏伝では極悪人とされている提婆達多が、実は釈尊にとってはかけがえのない善知識(ぜんちしき)という大切な存在であったとする過去世の物語が説かれる。そして、提婆達多に天王如来(てんのうにょらい)になるという成仏の授記がなされ、どんな悪逆な者も仏の慈悲(じひ)に漏れることはないことが明らかにされる。これに続いて、後半においては、八歳の龍王の娘が法華経の教えによって成仏することができたという龍女成仏(りゅうにょじょうぶつ)を説くことによって女人成仏が示されている。

提婆達多品の大意

 釈尊はかつての大国の王であった時、長い間、法華経という大法(だいほう)を捜し求めた。そのためには、すべてのものを捨てても、生涯をかけて会得したいと努力していた。ある時、阿私仙人(あしせんにん)に出会い、「もしわたしについて修行するならば大法を説こう」といい、これを聞いた大王は大いに喜び、この仙人について身をもって給仕(きゅうじ)した。長い歳月が流れたが、大王は心身の疲れや苦痛を少しも覚えなかった。かくして、その精進によって大法を得、成仏することができたのである。そのときの大王とは釈尊であり、仙人とは提婆達多であったのである。今、釈尊が仏と成れたのは、この提婆達多の善知識があったればこそなのである。即ち、生きる中に本来、善も悪もない。もしあるとすれば、何かを教えんがために、善悪があるのであり、いわば、これが知識なのである。これによって提婆達多は、無量劫(むりょうこう)をすぎて天王如来という仏様になったのである。またこの時、釈尊は、多宝如来の所従、智積菩薩(ちしゃくぼさつ)へ向けて、文殊菩薩がこの妙法を説き、八歳の龍女を五障(ごしょう)の女身でありながら、目の当たりに成仏させた妙法の教えを示し、与えたのである。

 

日蓮宗修養道場(石川道場)述

 

釈迦族の提婆達多(デーヴァダッタ)

国王が幽閉された牢獄跡から霊鷲山を望む
国王が幽閉された牢獄跡から霊鷲山を望む

 提婆達多(以後、提婆)は釈尊の従弟(いとこ)にあたる人物で、彼の弟は多聞第一(たもんだいいち)と称せられた阿難(あなん)であった。提婆は幼少の時から釈尊の競争者であった。釈尊は耶輸陀羅(やしゅだら)を妃として迎えたが、この耶輸陀羅に思いをかけていたのが提婆であった。釈尊の名声が高まるにつれ、提婆は心穏やかでなくなり、嫉妬や慢心あるいは瞋恚(しんに)の心という、様々な欲望が燃え盛った。そのため釈尊の名声を失墜させようと、さまざまな迫害を計画したのである。

 

 はじめに釈尊に帰依し竹林精舎の寄進をはじめ様々な供養をしていたマガダ国のビンビサーラ王の息子アジャセ太子に近づいて、神通力によって歓心を買い、彼を王位に就くようにそそのかして父であるビンビサーラ王を牢獄に幽閉させ、ついには死に至らしめるのである。 このことは「王舎城の悲劇」として伝えられている。

 

 提婆は釈尊に教団を自分に譲るように迫るが、「利用(りよう)のために他人の唾を食べるようなものに委ねはしない」と皆の前でたしなめられる。教団を乗っ取ることはできないと思った提婆は、教団の分裂を企てる。そのために教団の規律を五か条にわたって厳しくするように主張した。

 

 第一に糞掃衣(ふんぞうね)という粗末な衣のみ着る。第二に托鉢によってのみ食し、招待の供養は受けない。第三に食事は一日一回のみ。第四に露座に住し、樹下や屋内に住しない。第五に牛乳やバターなど食さない。

 

象頭山(ブラフマヨーニ)
象頭山(ブラフマヨーニ)

 この五か条は釈尊によって斥けられたが、提婆は賛同者を募り、新しく出家して教団の事情を知らぬ五百人を引き連れ、ガヤーの象頭山(ぞうずせん)に去った。このことを知った舎利弗尊者と目連尊者は象頭山に行き、神通力で提婆を眠らせ、五百人を教団に復帰させた。

 

 眠りから覚めた提婆は、この恨みを晴らすため、大岩を落して釈尊を殺そうとし、仏の足指を傷つけた。またアジャセ王に教えて酔象を放って釈尊を踏み殺そうと謀った。又このことを諌めた蓮華比丘尼(れんげびくに)を撲殺した。そして遂には爪に毒を塗り、仏足を礼すると見せかけて、殺そうとするがその毒が自らの身に回って命を落とすのである。

 

善悪不二(ぜんあくふに)

 過去世において阿私仙人として法華経をたもち、大王のために法華経を説いて成仏に導いた者が、今生は悪逆の提婆達多となって釈尊を苦しめたという事は如何なることであろうか。

 

 釈尊ご一代の教えを四段階に分けて、蔵通別円(ぞうつうべつえん)の四教(しきょう)という。蔵教とは小乗の教えであり、通教とは大乗初門の教え、別教とは大乗後門の教えである。この三教において悪は滅すべきもの、善は生ずべきものであるという捉え方で教えが説かれている。

 

 しかし、円教という大乗究竟の教えでは、悪の効用を認めて、善悪の両方があってこそ、仏道修行は完成されるという捉え方に大転換する。悪を体験するからこそ、善の大切さが痛感され、善を希求する心も強くなれる。

 

 提婆達多は出生の時、既に発熱していたという。これを天熱と呼ぶ。つまり、生死煩悩(しょうじぼんのう)の熱悩に苦しめられる生涯を暗示していた。提婆達多は釈尊が善であるのに対し、自ら悪を体現して、釈尊の教化を助けたということである。

 

龍女成仏

 提婆達多品の後半は女人成仏について、龍女の即身成仏(そくしんじょうぶつ)が説かれる。ここでは娑竭羅龍王(しゃからりゅうおう)の八歳の娘が登場する。龍宮で文殊菩薩の法華経の教化をうけた八歳の龍女は、智慧にすぐれ、わずかの間に悟りの心をおこして、退転することのない境地を得ている。しかも、弁舌にすぐれ、人々に対する慈悲の心は深く、その説くところは広く深いものがある。しかも思いやりがあり、心やさしいので悟りに達することができたのである。

 

 これに対し、智積菩薩と舎利弗尊者は別教と蔵教の立場から疑問を投げかける。「釈尊でさえ長い間難行苦行(なんぎょうくぎょう)して、功徳を積み、徳をかさねて悟りを得られたというのに、八歳の龍女がほんの短い間に悟りを完成することができる筈はない」また、「女性には五つの障りがあると古来言われている。それは一には梵天王(ぼんてんのう)、二には帝釈天、三には魔王、四には転輪聖王(てんりんじょうおう)、五には仏身となることはできない。それなのに、どうして八歳の龍女が成仏できるであろうか」というものであった。

 

宝珠をたてまつる

龍童女
龍童女

 そのとき、龍女は一つの宝珠を持っていたのであるが、その価値は三千大千世界の財宝も匹敵するものであった。その宝珠を釈尊に献上したところ、釈尊はこれを即座に受け取られた。仏様に献上する唯一の宝珠とは「いのち」そのものと受け止められるし、身命をも惜しまぬ信心とも言える。

 

 宝珠をたてまつった龍女は、智積菩薩と舎利弗尊者に向かって、「私は宝珠を献上しましたが、世尊がお受け取りになられたのは速かったでしょうか。では、あなた方の神通力で私の成仏するのをご覧ください。これよりもさらに速いことでしょう」

 

 このように告げるやいなや、龍女はたちまち男子(なんし)に変わり、菩薩の修行をそなえ、十方世界の人々のために妙法を説くさまを霊鷲山の虚空会の座にあった人々は目の当たりにした。

 

 このように、龍女の成仏すなわち女人の成仏するさまを見た智積菩薩、そして舎利弗尊者やすべての人々は、黙然としてこの事実を受け入れたのである。

 

歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)と即身成仏(そくしんじょうぶつ)

 釈尊ははじめ、蔵通別の三教において、永遠の命の中で生まれ変わり死に変わり魂を磨く歴劫修行を説かれた。そして晩年の八ヵ年説かれた円教である法華経の提婆達多品において、すべての衆生がその身のまま仏の「いのち」を顕わす即身成仏を説かれたのである。

成道の聖地に集う仏教徒
成道の聖地に集う仏教徒