法華経を学ぶ

妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)陀羅尼品(だらにほん)第二十六

ブッダガヤーで修行に励むチベット僧たち
ブッダガヤーで修行に励むチベット僧たち

はじめに

 法華経を弘めるにあたって必ずや遭遇するであろうさまざまな迫害や災難を、二人の菩薩と二人の天王と十人の羅刹(らせつ)が秘密神呪(ひみつじんじゅ)をもって守護するということを表明したのが、この陀羅尼品である。

 

 陀羅尼というのは、インドの古い言葉のダーラニーを音写したもので、一字一字の意味はない。あえて漢訳すれば、すべてをよく保持して忘れないということから総持(そうじ)、あるいはまた悪法をよくさえぎることから能遮(のうしゃ)とも訳される。しかし、もともとこの陀羅尼というのは一種の秘密の言葉として、いわゆる呪文として考えられ、これをただ口にして唱えるだけで、さまざまな障害を除き、数々の功徳が得られると信じられている。

 

 

大意

 法華経を受持する者を守護するために、薬王(やくおう)菩薩・勇施(ゆうぜ)菩薩・毘沙門天王(びしゃもんてんのう)・持国天王(じこくてんのう)・十羅刹女(じゅうらせつにょ)及び鬼子母神(きしぼじん)等がそれぞれ咒文(じゅもん)を説かれた。つまり、本品では、迷いと動揺に対し、守護と咒文をもって応えたものと言える。

 

日蓮宗修養道場(石川道場)述

 

薬王菩薩の陀羅尼呪

安爾(あに)曼爾(まに)摩禰(まね)摩摩禰(ままね)旨隷(しれ)遮梨第(しゃりて) 棄竿(しゃみゃ)棄履(しゃび)多喜(たい)羶帝(せんて)目帝(もくて)目多履(もくたび)沙履(しゃび)阿喜沙履(あいしゃび)桑履(そうび)沙履(しゃび)叉裔(しゃえ)阿叉裔(あしゃえ)阿耆膩(あぎに)羶帝(せんて)棄履(しゃび)陀羅尼(だらに)阿盧伽婆娑(あろぎゃばさい)簸蔗毘叉膩(はしゃびしゃに)禰毘剃(ねびて)阿便潅邏禰履剃(あべんたらねびて)阿亶潅波隷輸地(あたんだはれしゅだい)急究隷(うくれ)牟究隷(むくれ)阿羅隷(あられ)波羅隷(はられ)首迦差(しゅきゃし)阿三磨三履(あさんまさんび)仏駄毘吉利宴帝(ぼっだびきりじって)達磨波利差帝(だるまはりして)僧伽涅瞿沙禰(そぎゃねくしゃね)婆舎婆舎輸地(ばしゃばしゃしゅだい)曼潅邏(まんたら)曼潅邏叉夜多(まんたらしゃやた)郵楼潅(うろた)郵楼潅隠舎略(うろたきょうしゃりゃ)悪叉邏(あしゃら)悪叉冶多冶(あしゃやたや)阿婆盧(あばろ)阿摩若(あまにゃ)那多夜(なたや)

 

 

 

勇施菩薩の陀羅尼呪

碓隷(ざれ)摩訶碓隷(まかざれ)郁枳(うっき)目枳(もっき)阿隷(あれ)阿羅婆第(あらはて)涅隷第(ねれて)涅隷多婆第(ねれたはて)伊緻株(いちに)韋緻株(いちに)旨緻株(しちに)涅隷滑株(ねれちに)涅犁滑婆底(ねりちはち)

毘沙門天王の陀羅尼呪

阿犂(あり)那犂(なり)傾那犂(となり)阿那盧(あなろ)那履(なび)拘那履(くなび)

 

 

 

 

持国天王の陀羅尼呪

阿伽禰(あきゃね)伽禰(きゃね)瞿利(くり)乾陀利(けんだり)旃陀利(せんだり)摩牙耆(まとうぎ)常求利(じょうぐり)浮楼莎株(ぶろしゃに)穏底(あっち)

 

 

 

 

十羅刹女と鬼子母神の陀羅尼呪

伊提履(いでび)伊提泯(いでびん)伊提履(いでび)阿提履(あでび)伊提履(いでび) 泥履(でび)泥履(でび)泥履(でび)泥履(でび)泥履(でび)楼醯(ろけ)楼醯(ろけ)楼醯(ろけ)楼醯(ろけ)多醯(たけ)多醯(たけ)多醯(たけ)兜醯(とけ)傾醯(とけ)

 

 

 

 

十羅刹女と鬼子母神
十羅刹女と鬼子母神

陀羅尼の力

 陀羅尼には次の四つの力がある。

1、病を直す力 

2、法を護る力 

3、罪を滅す力 

4、悟りを得る力

 このように、陀羅尼には病気を治す力があり、正法を守護する力があり、人間がつくるさまざまな罪を滅してくれ、そうして最後に悟りを得させてくれる、そういう力があるという。

 

 

 

 

五種不翻(ごしゅふぼん)―陀羅尼を翻訳しない理由

 この陀羅尼を翻訳せずに音をそのままにして文字をあてた、つまり音写したのはどうしてなのかということについて、唐の玄奘(げんじょう)は五つの理由をあげている。

1、「秘密の故に翻せず」

 陀羅尼のような神呪は秘密の法であるから翻訳すべきでないし、また、できるものではない。

2、「多義を含むが故に翻せず」

 陀羅尼はたくさんの意味があるから、それを訳すとかえってその意を傷つけそこなうことになりかねない。例えば「摩訶」という言葉には、大きいという意味の他に、数や量が多いということ、さらに、非常に勝れているとか優っているという意味もあるので、意味を限定すると不都合なことが起きてくる。

 

3、「この方に無きが故に翻せず」

 陀羅尼のようなものは唐の国には無いので訳すことができない。

4、「古例にしたがうが故に翻せず」

 陀羅尼のようなものは翻訳しないのが古来のしきたりである。

5、「善を生ぜん為の故に翻せず」

 たとえば、「般若」という言葉は、これを智慧と解するよりもそのまま般若と言った方が言葉に重みと深みがある。これと同じように陀羅尼もまた訳さずにそのままの方が神秘的で有難さや味わい深さがあるというわけである。

 

引用文献「法華経講話・下」田中日淳猊下講述