日蓮聖人のお遺文の主要書として五大部があるが、その中の撰時抄は誠に日蓮教学の真髄である。全文を拝読するならば「建長寺・寿福寺・極楽寺・大佛・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいてて、彼等が頚をゆいのはまにて切らずば、日本国必ずほろぶべしと申し候了んぬ」とゆうような過激とも思える表現も世に聖人と言われる謗法の諸師に対する大悲のみこころと領解できるのである。
NHK教育番組でも講演した植野雅俊先生の「法華経とは何か」という本は、広く世間に読まれていると思う。その中で釈尊滅後の出家者による仏教の展開と五百年後の法華経成立の意義を理解するならば、日本に数ある宗派に関係なく、法華経は釈尊が開いた一切衆生を導く教えの最終章として成立したことが理解できる。
建治元年(1275)聖寿54歳に著述された撰時抄は、当時知りえなかったサンスクリット原典研究の成果を待たずして法華経を一切経の頂にありと確信させる内容である。「我不愛身命 但惜無上道」は法華経の文、大聖人の生きざまそのものである。自身がその門下として大聖人に面奉出来るか自問自答して臨終を迎えたい。
撰時抄に曰く「日本国にしてこの法門を立てんは大事なるべし云云。霊山浄土の教主釈尊・宝浄世界の多宝佛・十方分身の諸佛・地涌千界の菩薩等、梵釈・日月・四天等冥に加し、顕に助け給わずば、一時一日も安穏なるべしや」南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経