⑲一大事因縁(その五)

小学生時代の夏休みに2人の兄と従兄との4人で、門司港駅から当時は蒸気機関車の牽引する列車に乗り、車窓から顔を出して列車の煙突から吐き出される煙と心地よい風を受けながら直方まで行き、駅から長兄の後ろについて歩きどのくらいの距離か記憶に定かではないが、日が暮れるまでに山中にある上野狭へ行ったことがある。

 

そこには日高白象上人が主催する法華経の道場が運営されていた。身延山の布教部で青年僧の大いなる支持を受け活動されていた日高上人は福岡県のご出身で、日高家は里の大雄寺の檀家でもあった。当時30代の父は、福岡県の日蓮宗布教師会から経済的な支援も含め日高上人の活動を応援していたのだと思う。

 

30年前に大雄寺の書棚からたまたま拝借した本に日高白象著「久遠の本仏 自我偈随想〈一〉」がある。父のメモや鉛筆の傍線があり大切にはしていたが、この歳になるまでなんとなく読みそびれていたのである。昨年11月にインドのブッダガヤに行き、そこで布教活動をされている一心寺の片山妙晏上人とお話をして、永遠の仏(エターナル・ブッダ)はインド人には理解してもらえないと聞いたことがきっかけとなって、このたび改めて最初から拝読をした。

 

そこに書かれていることは本人曰くまだ研鑽中ではあるが、日蓮宗の教学でいう法報応三身即一の久遠実成本師釈迦牟尼仏とは異なる独自のものである。それはインドの大地から涌出して霊山虚空会に浮かび、三世十方分身の諸仏の代表としての多宝如来が真実を証明する多宝塔に入り、すべての神仏を統一して復活した生身の釈尊なのである。

 

龍泉寺の先代本覚院日圭上人は、笹部家の内仏の上に釈尊の絵を掲げている。それはよくある三十二相を備えたブッダの絵ではなく、一見復活したイエスキリストかと見紛うような眼孔深く髭を蓄えた生身の釈尊なのである。この絵はインドを統治していたイギリスが、一時期仏舎利を持って行った大英博物館にあると聞く。誠に不思議なご縁であると感じる。