蔵の財(たから)よりも身の財すぐれたり、身の財より心の財第一なり
日蓮聖人・崇峻天皇御書
法華経の信解品第4に「無量宝珠 不求自得」とある。
これは「長者窮子の喩え」というお話の中で、お釈迦さまを大金持ちの長者に、
仏弟子の代表である4人が自分たちを貧乏な窮子に喩えたお話の最後にある仏弟子たちの歓喜の言葉である。
大金持ちの長者は、実は窮子の父親でありずっと我が子を探し求めていたのである。
大金持ちのお釈迦さまとは如何なる存在であろうか?
法華経で説かれるお釈迦さまは「久遠実成の釈迦牟尼仏」である。
この仏は始まりも終わりもない久遠の存在で、全宇宙に遍満する根本の仏さま「本仏」である。
その仏の持つ「久遠のいのち」が無量宝珠なのである。
つまり迦葉を代表とする4人の比丘は、自分たちが本仏のいのちを頂いている事に気付いたのだ。
出家の比丘は、一切の財産を持たず托鉢によって命を繋ぎ悟りを求めて修行を行う。
その4人が「無量の宝珠を求めざるに自ずから得たり」と歓喜の言葉を発している。
私たち現代人は銀行の通帳残高や株価の数字を見て一喜一憂している。
しかし、実はこの宇宙に遍満する無量の宝珠をいつでも必要なだけ頂けるのである。
南無妙法蓮華経