朝勤は方便品の五千起去と一大事の因縁を読む。
霊鷲山を降りたのは、自分はわかっていると思った増上慢の者たち。
お釈迦様は「退くも亦佳し」と制止されなかった。
舎利弗をはじめその場に残った人々に法華経の法門が説かれる。
午前中は月回向を2軒廻り、午後からは化城喩品の執筆少々。
夕方月回向1軒と、夕勤で巻第4の読誦行。
19時過ぎに関西より年配の男性と近くに住む姪の女性が来寺。
亡くなった母親が法華経の信仰を熱心にしていたので
実家に来てお経をあげて欲しいとのこと。
浅からぬ仏縁であろうと思う。