![釈尊成道の聖地ブッダガヤーの菩提樹の下で](https://image.jimcdn.com/app/cms/image/transf/dimension=184x1024:format=jpg/path/s62434f7678a60b9a/image/i6493f2b5ddeae57d/version/1476451020/%E9%87%88%E5%B0%8A%E6%88%90%E9%81%93%E3%81%AE%E8%81%96%E5%9C%B0%E3%83%96%E3%83%83%E3%83%80%E3%82%AC%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%81%AE%E8%8F%A9%E6%8F%90%E6%A8%B9%E3%81%AE%E4%B8%8B%E3%81%A7.jpg)
30歳になった時、勤めていた会社を辞めてインド放浪の旅に出た。
六年半のサラリーマン生活、繁忙期は残業100時間を超える月が続き、自分の目的を見失った時、インドというカオスに救いを求めた。
たどり着いたオールドデリーの安ホテルで眠りから目覚めた時、途轍もない開放が魂に降り注いだ。今日から僕は自由だ!そしてここは明るい光に満ち溢れた浄土だと。
今思えば、人は人生の中で極楽浄土を見るのかもしれない。葛藤に満ちた自らの煩悩の中で、生きることの本当の意味を悟ることができる。煩悩即菩提 生死即涅槃、そして娑婆即寂光が釈尊最期の法華経の教えだから。
「浄土と云い穢土と云い土に二つの隔てなし」穢土の衆生は釈迦を仰ぎ、極楽浄土の衆生は阿弥陀如来を見る。「豈に伽耶を離れて別に常寂を求めんや。寂光の外に別に娑婆あるに非ず」誰もがそれを感見することを、「無作三身の覚体現れ常寂光土現前せん」と先師は教えてくれている。