2020-06-25

法務アローンは住職としての日記なので、取り留めのないことを綴ることをお許し願いたい。

 

1987年11月11日、当時30歳の時にインドを放浪しパトナーから路線バスで釈尊ご入滅の聖地クシナガルを訪れた。その時に明治時代の田中智學居士の高弟である山川智應博士が設立した本化妙宗のお題目の宝塔が目に飛び込んできた。中に入るとビロドという少年が留守番をしていたのである。

 

時は流れ昭和から平成そして令和元年の6月に一冊の本が贈呈された。曰く「一大事因縁の仏法」。そこで日蓮宗の教師となって30年目に「本尊」について勉強し直すにあたり導きとなったのが某研究室で頂ていた山川智應博士講述の「本門本尊論」なのである。

 

日蓮大聖人は佐渡始顕以来123幅程の御真筆の大曼荼羅が確認されているが、大正元年に京都で発見された大曼荼羅は一度宗宝となるも現在はその所在さえ明らかにされていない。いわゆる「大日本国衛護の御本尊」と呼ばれ日蓮宗からは抹殺されているのである。

 

ところが山川智應博士によると、この大曼荼羅は紛れもなく日蓮大聖人の御真筆であり「日蓮聖人研究」第二巻にその素晴らしさを詳述されている。然しながら国柱会の田中智學居士は佐渡始顕四聖帰命の真筆不在の大曼荼羅を御本尊と定めているのである。

 

「本門の本尊」という日蓮大聖人の真意は必ず示されると信じて龍泉寺の御宝前で南無妙法蓮華経のお題目を唱える日々である。