1987年10月25日(日) デリーでの一日

 朝、爆竹の音に促されて7時頃起床。まず顔を洗い歯を磨く。僕の部屋は4階の屋上にある。屋上のテラスに出ると上からバザールが一望、ザワザワ動き出したバザールの彼方に朝日が既に昇っている。

 

 午前8時、必要なものをショルダーバックにまとめて、まずは朝食。ホテルの近くのGrand Sindu Restaurant に入るがメニューらしきものは無いので少々困惑する。店の主人は「No,English」と威張っている。仕方ないので唯一のヒンディー語で「チャーイ」とミルクティーを注文。そして、店で働いている少年の親切な助言でバタートースト2枚をもらう。これが意外においしかった。

 

 軽く朝食を済ませてから店を出て、コンノート・プレースという街の中心を目指して歩き出す。少し歩いたところでラマ・クリシュナ・ミッションに足が向き、ここで朝の礼拝をする。ラマ・クリシュナはインドの高名な宗教家である。芝生の庭を通り、靴を脱いで礼拝堂に入る。5人程が床に禅定を組んで座り、祭壇ではラマ・クリシュナの像に向かい一人のグルがマントラを唱えている。

 

 ここを出てから、再びコンノート・プレースを目指す。とりあえずインド政府観光局へと思って歩いているうちに、泥んこの少女が幼い子を片手で脇に抱え、目の前に歩いてきて手を出しバクシーシェ。そのまま何メートルかためらいつつ歩いてしまう。

 

 細かい硬貨を持っていなかったのだが「施しをしよう」と決めた時、前から歩いてきたインドの女性と顔を見合わせる。彼女は優しく笑っていた。大きな眼の少女に2ルピー札を広げ、しゃがんで顔を近づけてあげる。そんな光景を見ていた一人の男が、「Good morning」と声をかけてきた。「ありがとう」そんな風に聞こえた。たかが2ルピー(26円)だけど…

 

 この後、今度は闇両替の男に声をかけられる。そして、今日が日曜日で銀行をはじめほとんどのオフィスが閉まっていることに気づく。手持ちのルピーも少ないので、少々危険を感じつつも商談に乗ることにする。交渉の末30ドルで390ルピー、まあ損でもないし経験のつもりで、大げさに通りを連れまわされた後、何人かのインド人がたむろしている中、オフィスらしき所へ入る。あたりをゆっくり見回し、30ドルを出して交換。何のことはない、銀行へ行って混雑の中待たされるより便利かも…などと不埒なことを思う。

 

 一応、観光局の場所を確認した後、コンノート・プレースの芝生にあるベンチに腰かけてガイドブックを読んでいると、あんま屋3人・耳掃除2人・靴磨き2人など代わる代わる取り囲まれしばし雑談。あんま屋は肩を揉んでやるとあきらめて退散したが、耳掃除のオヤジは中々しぶとく、手帳を見せつつ離れない。過去の体験者は50ルピーとか40ルピーとか書いていたので20ルピー分だけやってくれと折れる。

 

 正午近くになったので、ここを出て天文台まで行き絵葉書を買う。そしてホテルへ戻る途中、映画館脇のスタンドでチャーイとハンバーガーと揚げパンを食べる。帰り道バザールの中に野球場ほどの広さのあるキリスト教徒の墓地に出て、中へ入り少し歩く。意外な感じがしたが静かなところで、十字架に供えられた黄色の花輪が眩しかった。

 

 ホテルへ帰ってきてかなり疲れを感じベッドに横になる。街のざわめきを聞きながらウトウトと昼寝をし、ふと目覚めた時、笹塚のアパートの自分の部屋にいるような錯覚から現実へ、ここはインドなのだ!

 

 午後4時からバスターミナルへ行って、ダラムシャラーまでのチケットを69ルピーで買う。午前6時45分発、明日の朝は早い。それから、近くにあったチベット寺院に行き夕方の礼拝としてお釈迦様のご本尊を拝む。朝・昼・夕と導かれるように礼拝をしていることを有り難く不思議に思う。

 

 バザールまで帰ってきて夕食は、イモと豆のカレーにライスとチャパティ2枚で7ルピー。まあ、おいしいと褒められるものでもないが満腹になるだけでありがたい。早めにホテルに戻り、シャワーを浴びゆっくりくつろぐ。

 

 今は夜の9時20分、明日の朝は早い。今日は早めに寝ることにしよう。