2020.10.18

 本日、穏やかな秋の日差しの中で宗祖日蓮大聖人第739遠忌のお会式法要を行った。

 

「日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来までも流布すべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。この功徳は伝教・天台にも超え、龍樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土一日の功徳に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是ひとえに日蓮が智のかしこきにはあらず。時のしからしむのみ。」   報恩抄

 

 今年はコロナウィルスの感染予防で、高座説教とお昼の会食は中止。しかし、法要で拝読する日蓮大聖人の私達へのお手紙はいつも「報恩抄」である。迦葉尊者はお釈迦様ご在世の十大弟子の御一人。龍樹菩薩はお釈迦様ご入滅後の二世紀の正法時代に現在のインドの真ん中ナグプールに出現された大乗仏教の祖。天台大師智顗は六世紀の像法時代の中国に出たお釈迦様の仏教を纏められた高僧。そして伝教大師最澄は平安時代に日本に天台宗を伝え比叡山を開いたのである。

 

 末法の始め、比叡山で修行研鑽された鎌倉新仏教の開祖たちにより現在日本の宗派仏教という現実がある。そのことを否定するわけではない。それぞれが素晴らしい教え導きである。では釈尊が最初に道を説き、龍樹・天台が本論を説いたと仮定すれば、誰が仏教の結論を説くのであろうか。日蓮仏教という呼び方がストンと腑に落ちてきた。