今から65年前の1956年10月14日、インドの真ん中ナグプールでアンベトカール菩薩が約50万人の人々と共にヒンズー教から地涌の菩薩として仏教に改宗しました。永い間の差別から立ち上り生命の尊厳を取り戻したのです。アンベトカール博士亡きあと、そのインド仏教再興運動を引き継いだのが、日本人僧である佐々井秀嶺上人です。現在85歳で50年以上インドで活動し今や一億人を超える仏教徒の最高指導者です。
その佐々井上人の活動の一つが、ナグプール近郊のマルセルにあるとされるインド大乗仏教の祖、龍樹菩薩の遺跡「南天鉄塔」の発掘なのです。この地方は法華経提婆達多品の娑竭羅龍王の竜宮の舞台でもあります。
日蓮大聖人は流罪の地である佐渡で書かれた「開目鈔」に
「善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く、(のうまくさんまだ・おん・ああーあんあく・さるばぼだきのう・さきしゅびや・ぎゃぎゃのうばば・そたらん・じゃく・うん・ばん・こく・ばさら・あらきしやまん・うん・そわか)この真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の真言なり。…南無の二字おけり。南無妙法蓮華経これなり。」
とお示しになっています。
佐々井上人は何宗でもありませんがお題目との深い縁を感じます。お題目は宗派や宗教そして言葉の次元を超えたものなのです。
佐々井秀嶺上人を支援する南天会のホームページ www.nantenkai.org
今年は昨日12月21日に冬至に入ったようである。
今日から一日一日と陽は長くなり春の彼岸を越え6月21日が夏至である。
コロナ禍も太陽の光増長によって徐々に退散し
太陽の最も盛んな夏至には沈静化することを望むばかりである。
日蓮大聖人は弘安4年(1281)5月15日(旧暦の夏至の日)身延のご草庵で
大曼荼羅御本尊を顕され御真筆の大曼荼羅の讃文に唯一「第一之本尊也」と記されている。
この日は2度目の蒙古来襲(弘安の役)の1週間前。
法華経有縁の国でありながら謗法熾なる大日本国を救わんがため
諸天昼夜 常為法故 而衛護 大日本国
と書かれたのであろうと推察される
後世の我々の為に大聖人が魂を込めて染筆された大曼荼羅御本尊を
蒙古調伏の為の「大日本国衛護の曼荼羅」と呼び葬り去った宗門に未来はない
「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。龍樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり。是全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊也。」
日女御前御返事
1、大聖人の自作ならざる大曼荼羅は加工装飾なされるべきではない
2、すりかたぎたる(摺形木)とは現代の手法では写真に他ならない
12月8日はお釈迦様が菩提樹の下でお悟りを開かれた成道会です。
現代の仏教徒の原点がインド・ブッダガヤーの菩提樹の写真の場所です。
法華経の第十六の「如来寿量品」にお釈迦様のこんなお言葉があります。
Chapter 16 ”The Duration of the life of the Tathagata
「みんなは私が釈迦族の城を出て、ガヤーの王城の近く、菩提樹の下で悟りを得たと思っている。しかしみんなよく聞きなさい。私が仏と成ったのは実に数えることも想像することも出来ないほどの無量無辺の過去なのである。」(意訳)
2500年前にインドにお釈迦様として現れた方の真実の姿は、光の如くこの世界の何処にもまします久遠実成(永遠)の仏様なのです。
本日、穏やかな秋の日差しの中で宗祖日蓮大聖人第739遠忌のお会式法要を行った。
「日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来までも流布すべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。この功徳は伝教・天台にも超え、龍樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土一日の功徳に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是ひとえに日蓮が智のかしこきにはあらず。時のしからしむのみ。」 報恩抄
今年はコロナウィルスの感染予防で、高座説教とお昼の会食は中止。しかし、法要で拝読する日蓮大聖人の私達へのお手紙はいつも「報恩抄」である。迦葉尊者はお釈迦様ご在世の十大弟子の御一人。龍樹菩薩はお釈迦様ご入滅後の二世紀の正法時代に現在のインドの真ん中ナグプールに出現された大乗仏教の祖。天台大師智顗は六世紀の像法時代の中国に出たお釈迦様の仏教を纏められた高僧。そして伝教大師最澄は平安時代に日本に天台宗を伝え比叡山を開いたのである。
末法の始め、比叡山で修行研鑽された鎌倉新仏教の開祖たちにより現在日本の宗派仏教という現実がある。そのことを否定するわけではない。それぞれが素晴らしい教え導きである。では釈尊が最初に道を説き、龍樹・天台が本論を説いたと仮定すれば、誰が仏教の結論を説くのであろうか。日蓮仏教という呼び方がストンと腑に落ちてきた。
明日18日は当山の守護神講である
お経にはたくさんの神々が仏の周りに集まり
仏法を求め仏法を弘めんとする人を守護する
そのお一人が法華経の信仰に生きた加藤清正公である
例年であれば清正公(せいしょうこう)夏祭りとして境内で石見神楽による
「清正公の虎退治」をはじめ「鍾馗」や「八岐大蛇」などの奉納で賑わうが
今年はコロナウィルスの影響で夏祭りは中止となった
そこで大曼荼羅御本尊の前に清正公の像を安置して法味を言上する
この大曼荼羅は弘安4年5月15日に日蓮大聖人が顕された御真筆の写しで
つい先日に御宝前に奉安することが出来た貴重な大曼荼羅である
この御本尊の添え書には加藤清正公から藤堂高虎公に託されたとある。
と云うことで明日はさぞかしお慶びの事と思う次第である。
法務アローンは住職としての日記なので、取り留めのないことを綴ることをお許し願いたい。
1987年11月11日、当時30歳の時にインドを放浪しパトナーから路線バスで釈尊ご入滅の聖地クシナガルを訪れた。その時に明治時代の田中智學居士の高弟である山川智應博士が設立した本化妙宗のお題目の宝塔が目に飛び込んできた。中に入るとビロドという少年が留守番をしていたのである。
時は流れ昭和から平成そして令和元年の6月に一冊の本が贈呈された。曰く「一大事因縁の仏法」。そこで日蓮宗の教師となって30年目に「本尊」について勉強し直すにあたり導きとなったのが某研究室で頂ていた山川智應博士講述の「本門本尊論」なのである。
日蓮大聖人は佐渡始顕以来123幅程の御真筆の大曼荼羅が確認されているが、大正元年に京都で発見された大曼荼羅は一度宗宝となるも現在はその所在さえ明らかにされていない。いわゆる「大日本国衛護の御本尊」と呼ばれ日蓮宗からは抹殺されているのである。
ところが山川智應博士によると、この大曼荼羅は紛れもなく日蓮大聖人の御真筆であり「日蓮聖人研究」第二巻にその素晴らしさを詳述されている。然しながら国柱会の田中智學居士は佐渡始顕四聖帰命の真筆不在の大曼荼羅を御本尊と定めているのである。
「本門の本尊」という日蓮大聖人の真意は必ず示されると信じて龍泉寺の御宝前で南無妙法蓮華経のお題目を唱える日々である。
『ブッダとそのダンマ』再刊に寄せて 佐々井秀嶺
大体これにてアンベードカル菩薩著『ブッダとそのダンマ』に対する私の―南天竜宮沙羯羅竜王具足の摩尼宝珠が燦々として光明を放って『ブッダとそのダンマ』に祝福を送り、白蓮華の純白の花々を降り注いでいるその『ブッダとそのダンマ』の再刊を喜んでペンを置きたいと思う。
2004年7月3日記 首都ニューデリーに於いて 70歳の砌
かく云う自分は31歳の時、インドのお寺への派遣を断念して31年の時が経過しました。そして、1993年より龍泉寺に奉職し2008年に「龍珠会」を立ち上げネット上で法華経・お題目の布教を自分なりに模索し続けてきました。しかし、真の地涌の菩薩たらんとするなら今こそ行動に移らねばなりません。
2020年6月4日、龍珠会で自分に何が出来るかを思う。
南天会ホームページ https://www.nantenkai.org/
インドは仏教発祥の国であるが、現在はヒンズー教徒が8割をしめる。
ヒンズー教では悪しき慣習として宗教による階級制としてのカーストの差別があった。
現在はインド憲法により人権の平等が示されているが、永い間の慣習は今も消えていない。
そのインド憲法を起草したのがカーストの最下層とされた不可触選民出身のアンベードカル博士であった。
英国からのマハトマ・ガンジーによるインド独立の時、アンベードカル博士は法務大臣を務めていた。
そして、永い間虐げられてきた人々の尊厳を取り戻すために、1956年10月14日
アンベードカル博士は、60万人の同胞と共にヒンズー教から仏教に改宗した。
その2か月後の12月6日、65歳で急逝したのである。
時は流れ1968年、一人の日本人僧侶がインドへの改宗の聖地、南天のナグプールにやって来た。
それが写真のアンベードカル博士の肖像の前で、毅然とした面持ちの佐々井秀嶺聖人である。
聖人は博士の偉業を引き継ぎ、ナグプールの地で10月14日に何万人もの参加者を集め大改宗式を続けている。
そして、今やインドの仏教徒は1億5千万人に達するとのことである。
仏滅後2,500年を経てインドに蘇生している仏教は、宗派でなく上座部でも大乗でもなく一仏乗の人類普遍の宗教である。
そのバイブルがアンベードカル博士が書き残した「ブッダとそのダンマ」であるという。
今日その貴重な書籍が届いた。心して拝したい。
今世界は100年に1度と言われる災難に直面している
中国からアジア欧州そしてアメリカ更に世界へと未知の疫病は拡散し
多くの国民は日本は危険な局面にあるように感じている
しかし我が国の人々がが心を一つにして
この局面を乗り越えることが出来れば
意識のステージはワンステップ上がり
日本国と世界は新たな段階に入るのだと信じている
”起こることは全て素晴らしい”
そして
”すべては神である”
とは仏と神の声である
https://www.ryujukai.com/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E6%97%85%E8%A1%8C%E8%A8%98/
ホームページ内「インド旅行記」より
今月の4日からブッダガヤで1週間滞在の予定が
今回のコロナ肺炎の影響で日本での感染拡大が心配され
今は浜田に戻り自宅謹慎している
3日に関空に行き、17時発のタイ航空でバンコク国際空港へ
トランジットで空港内に待機中に、何とインドのモディさんは
日本人のビザを全て無効にした 何と絶妙のタイミングである
まるでsasabe Isshin のインド入国を阻止するが如きである
仕方なく帰りのチケットを5日未明の関空行きに切り替えて貰い
関空から熊野、那智、伊勢と日本の神々をお参りして帰宅した
しかし今思えば、その後インドのみならずヨーロッパやアメリカ
さらに世界への感染は広がる様相である
梵天の図らいと天照大神の導きに感謝するばかりである
今日12月8日は、お釈迦さまが菩提樹の下でお悟りを開いた成道会。
まさにこの地球という星で仏教が始まった原点の聖なる日である。
インドのブッダガヤーでは、早朝より世界中の仏教徒が集まり、
それぞれのサンガで法要が営まれ、お経を読み、法話があり、木の下に坐る。
1987年に30歳の時、初めて一人旅でブッダガヤを訪れてから不思議なご縁で今がある。
それから、かれこれ団体参拝や個人参拝で数えれば10回、ブッダガヤを訪れている。
どうやらこれからも、身体の続く限り行くことになりそうだ。
ところで、今日は龍泉寺で「法華経を学ぶ」勉強会。
お釈迦様の前で第9章、侍者の阿難さんと仏子の羅睺羅さんのお話でした。
梅雨の晴れ間も嬉しい…と書く時期であるが
早めに適度の雨の望まれる今日この頃である
最近になって島根の田舎の寺院に対し
東京の会社から電話やファックスが入るようになった
終活にあたり僧侶の登録おすすめや説明会の案内らしい
電話は丁重にお断り申し上げたが何やら心に引っ掛る
お寺と檀家の関係がますます希薄になってゆくようだ
僧侶が寺院で経典を読み釈尊の説かれた真実の法を説き
その法に帰依をする檀家の人々が寺院をまもり法を弘める
そんなことより必要な時だけ格安で手配できる便利な時代なのか
今日はお昼から月例の守護神講である
お参りの檀信徒のみなさんと法華経を読みお題目を唱え
守護神様そして鬼子母神様のお力を頂こう
5月最後の日曜日も好天となり
全国で真夏並みの最高気温を記録している
午前中は檀家さんの毎月の回向3軒を原付バイクで廻り
11時から本堂で永代供養廟「あんのん」への納骨供養
午後は13時に当病平癒の祈願に親子来寺
九識霊断法で病状を確認して特別加持祈祷
午後の時間はホームページの「法華経を学ぶ」英語版に着手
夕勤は先代の月命日の回向を行い
夜7時より「はまだを明るく照らし隊」定例会
学生が5人程集まってくれるのだが
社会に向けて日曜日のお寺の体制にも今後課題がありそうだ
新年あけましておめでとうございます!
旧年中は皆様にたくさんのお陰を戴き誠にありがとうございます。龍珠会のホームページの扉を開いて下さる方々にも感謝申し上げます。2019年元旦の午前0時より、新春盛運祈願会を行い参詣の皆様と一緒に本年の国土の安寧と世界の平和を祈りました。
私は今年で満62歳になります。龍泉寺の住職になって25年が経過しようやく一切衆生の恩に報いることが自身の幸福につながると心から感じるようになりました。「世界全体が幸福にならなければ個人の幸福はない」という法華経の行者である宮澤賢治の言葉が自身の言葉になるよう努めたいと思います。
もう若くはないので流石に体力の衰えを日々感じていますが、心を磨き静かなる悟りを目指します。
今日は10月10日は体育の日 雨の降らない日と信じられていたが
役目を外されて臍を曲げたのか 日本列島はこの日だけ朝から雨模様
お陰で日蓮宗島根県教化センター企画の檀信徒交流グラウンド・ゴルフ大会は
残念ながら中止となった
空いた時間で貯まっていた仕事をこなし 本堂での夕勤を済ませ静かな夕暮れ時
玄関のチャイムがなった
「今日までのご約束のポスターが出来ました」
島根県立大学 C-Artis のYさんが素敵なポスターを届けてくれた
「灯りの中で考える浜田の安全」満天のキャッチコピーを添えて