龍泉寺入寺後の平成7年1月より始めた毎月1回の法華経講義は、「序品第一」から「普賢菩薩勧発品第二十八」までの28章を三回繰り返し、今年3月を以て最終講とさせて頂いた。手探りで始めた講義の為に作成したテキストは、このホームページに「法華経を学ぶ」として掲載することが出来たのは講義に参加して頂いた皆さんのお陰であると感謝している。
さて、令和5年度4月から何を始めるか悩んだ末、やはり日蓮大聖人におすがりしてタイトルを「ご遺文に学ぶ」とした。大聖人の残された、たくさんのご遺文を読むに当たり第1回目の今日は、毎日朝勤で拝読している妙行日課から入っていこうと思っている。
準備の為に拝読した「松野殿御消息」というお手紙の結びのお言葉に心が躍った。
『妙覚の山に走り登りて四方をきっと見るならば、あら面白や法界寂光土にして瑠璃を以て地とし、金(こがね)の縄を以て八つの道を界(さか)えり。天より四種の花ふり、虚空に音楽聞こえて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、娯楽快楽し給うぞや。我等も其の数に列なりて遊戯し楽しむべき事、はや近づけり。信心弱くしては、かかる目出たき所に行くべからず。不審の事をば尚々承るべく候。穴賢穴賢。建治二年丙子 十二月九日 日蓮花押』
今日で霜月も終わり慌ただしい師走に入る
去る11月25日~26日で紅葉の京都を旅行してきた
と言っても目的は観光でなく日蓮宗全国布教師連合会主催の講義である
タイトルは「量子論から科学する 見えない心の世界」であった
宗務院からの配布物にあった案内を見てすぐにメールで申し込んだ
講師は京都大学名誉教授であられる岸根卓郎先生
昭和2年の御生まれで御年95歳で杖を突きながらも演題にたたれ講義であった
量子論というタイトルに興味を持つには一冊の本が切っ掛けである
それは2年前に贈呈された「一大事因縁の仏法」という書籍
著者はペンネームで正伝著とあり僧侶でも学者でもないとのことである
仏教に関する三百頁のこの本の主題は日蓮大聖人の「第一の本尊」についてである
開講に当たり不思議に思ったことがある
それは今回の講義を開催するに当たり労を取られた事務局のお上人が
そのきっかけとなったのが「一大事因縁の仏法」であることを話された
別にそんな話をする必要はないのではないかと思うのであるが
今度何かの機会があればお上人のお考えをお聞きしたいと思っている
この度8/22~27の間、コロナで混乱の日本を脱出しハワイの日蓮宗寺院を訪問している。
2日目の23日はハワイには珍しく早朝に雨が降った。
この日は国際布教師の山村上人を訪ね、はじめてホノルル妙法寺を参拝した。
このお寺は明治時代に日本からハワイに移住した九州の人達が中心に建立されたそうである。
顕本法華宗から日本山妙法寺の藤井日達上人が受け継がれ、お釈迦さま仏舎利塔と伽藍が整備された。
数年前にお堂を整備された際に出現した大曼荼羅を綺麗に表装し、本堂の左側に掛けていた。
そのご本尊は、なんとこの旅行の為に携帯用に表装したのと同じ「第一の本尊」であった。
3日目の24日は日蓮宗ハワイ別院の金井上人ご夫妻と理事さん、お弟子さんお二人にお会いし
修徒が半年間お世話になったお礼を申し上げいろいろとお話を伺った。
素晴らしい本堂とホールに庫裡、そして蓮池や菩提樹のある庭園を拝見した。
帰りはお弟子の方にホテルまで送っていただき、オアフ島の古戦場から海を一望した。
唯一の観光である。
4日目の25日は昼から空港に向かい14:10の飛行機で帰国の途に就く。
大日本国入国のための事前審査のスマホ画面は既に青になっている次第である。合掌
去る7月23日(土)の夜7時より、令和4年の清正公大祭を行った。
企画段階では3年振りに境内に舞殿を組んで石見神楽を奉納する予定であった。
長澤社中による加藤清正公の虎退治の演目は龍泉寺オリジナルの創作神楽である。
毎年楽しみにして遠方からも来られる神楽ファンが沢山いて下さる。
今年もまだコロナの心配があり、広報はせずに時間も短縮で行う段取りであった。
しかし、残念ながら島根県も俄かに感染が急拡大し関係各位と相談のうえ神楽は中止とした。
祈願法要は、本年より五色の龍泉寺オリジナル祈願札を作成した。
赤・青・黄・白・黒の五色から五行に対応して
武運長久・学業成就・家運隆昌・心願成就・良縁成就とした。
今回初めて祈願の申込書をお送りしたところ有り難いことに
檀信徒の皆様から120件の祈願申し込みがあった。
その中にある県立高校の野球部の関係者から武運長久の申し込みがあった。
翌日の24日、ホームランを3本被ったその高校は大逆転でベスト4に進んだ。
今は秘かに甲子園へ行くと思っている。ナム!
今朝の6時から朝勤は方便品第二の長行
五千起去(霊鷲山から5千人の驕った人々が去り)と
釈尊の一大事因縁(一切衆生の仏性を開き示し覚らせ仏道に入らしむる)
途中でふと振り返ると一人の善男子(若者)が座っている
お自我偈を読み30日の妙行日課にある大聖人のご妙判は立正安国論
「所詮天下泰平国土安穏は君臣の願うところ土民の思う所也
それ國は法に依ってさかえ法は人によって貴し…
帝王は国家を基として天下を治め、人臣は田園を領して世上を保つ
しかるに他方の賊来りてその國を侵逼し…國を失い家を滅せば何れの所に世を遁れん
汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ」
南無妙法蓮華経のお題目をしばらく唱えご回向して45分ほど経過し今日はお勤めを終わり
まだ本堂に座っているその若者に挨拶の言葉をお掛けした
今日はホテルから朝の散策中に日蓮大聖人の銅像に導かれてお参りしたという
子供のころ博多の東公園にある大聖人の銅像をお参りしていたとのこと
今日のお勤めのお経(方便品)とご妙判(立正安国論)のお話をして
正面に安置している大曼荼羅が大日本国衛護の「第一の本尊」であるお話をした
すると家は日蓮宗で仏壇にその「第一の本尊」の大曼荼羅があるとのこと
あまりの総ての一致に現証として何かが動き出したことを感じた
けわしき山
あしき道
つえをつきむれば
たおれず
コロナ禍にあって身延山久遠寺参詣も久しく
今月19日から21日の間、一大事の要件のため単身登詣した
出発前々日に兼ねて思わしくなかった両足が固まり歩行困難となった
普通であれば旅行を中止するのが成り行きであるが
この度は自身の思いが三障四魔を超えたようである
お題目を杖に石見空港から羽田空港
長い距離の移動と坂道を上り一日8000歩
総本山の5:30からの朝勤に参加、御廟所をお参りし
今回の目的である第一の本尊の表装と
その御本尊に関わった加藤清正公の祈願札作成の打ち合わせを終え
無事浜田に戻ってきた
今日は親戚一同と先代日圭上人の第三十三回忌の法要を務めご報告申し上げた
合掌
今日で令和4年の太歳三箇日もお仕舞ですね。
今日一日は長い間、龍泉寺の世話をして下さった総代さんの葬儀でした。
コロナとお正月と云うこともあり、ご家族でしめやかな式となりました。
取り上げ初七日は斎場から本堂に移り、80年のご生涯の半分以上通った龍泉寺で。
お孫さんの青年たちがお参りしてくれたので、このお正月で思ったことをお話しました。
南無とはインドの言葉でナーム、その意味は帰命と云うことです
南無妙法蓮華経とは妙法蓮華経の世界へ命が帰るということになります
お正月には日本人は神社仏閣に初詣をして祈ります
何者のおわしますかは知らねども、忝さに涙こぼるる、です。
天照大神、八幡大菩薩、天神様、奈良の毘盧遮那仏、薬師如来、阿弥陀様etc
インドに行けば梵天のブラフマン、帝釈天、西洋ではイエスキリスト、アラーの神etc
しかし、諸々の神仏は人間が作り出したと言えば言い過ぎかもしれませんが、
人間の誰かが感得したものにすぎません。
なぜなら、その人以外はその神仏に逢った人がいないからです。
妙法蓮華経とは単なるお経の題目ではありません
目に見えない何か大きな久遠の命のことなのです
妙法蓮華経とは私に与えられた命の名号です
日蓮聖人は、その命の世界を、流罪の地の佐渡で初めて大曼荼羅本尊として顕されました。
私はある時は地獄餓鬼畜生に、ある時は人間や菩薩としてこの一年を過ごすでしょう。
大曼荼羅はそんな私たち一人一人の姿なのです。その本尊の中心は南無妙法蓮華経です。
総ての人が「真実の自己」を悟る言霊が南無妙法蓮華経のお題目です。
龍泉寺本堂に安置した第一の本尊は日蓮聖人が現代の全人類に残した法華経の本尊です。
午前5時に起床し、朝刊を取り込み、お茶を入れ、ラジオをつける。
NHK「今日は何の日」…
1941年、80年前の今日、真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まりました。
1980年、41年前の今日、ジョン・レノンがニューヨークで殺害されました。
2500年前の今日、釈迦族の王子ゴータマ・シッダールタが、
ブッダガヤーの菩提樹下で悟りを開きブッダとなられました。
最後のナレーションは虚空からの幻聴かもしれません。
お釈迦様はインドでお悟りを開き、真実の自己を知ることで、
仏陀となった自分と同じ境地に、全ての人を導こうと立ち上られました。
生まれや肌の色による差別や、国と国による争いのない世界のために。
ジョンレノンは「イマジン」で歌っています
”想像してみよう 天国も地獄も 国も宗教もない 人々が平和に暮らす世界を”
世界の歴史を見れば、国と宗教の為に過去の戦争は起こり、今も繰り返されています。
お釈迦様の原点に立ち返れと、ジョンレノンは歌っているように感じます。
明日で今年の10月も終わる
コロナ以外は台風も無く穏やかな秋であったが何かと多忙
まず夫婦の誕生日が神無月そして宗祖の740回目のお会式(命日)を24日に奉行
仏具のお磨きやお飾りのお花作りで檀家のみなさんと準備
そして10月26日は浜田市の「安心安全いのちの日」
12年前(平成21年)の県立大学生の悲しい事件がその始まりである
その年の9月に第1回目の「はまだ未来文化祭2009」を石央文化ホールで開催した翌月
また10月26日は平成5年に夫婦の最初の子供が11週で流産した命日でもある
本年は26日に県立大学で「浜田市安全安心まちづくり推進大会」が午後4時から行われた
それに先立ち午後1時から学長と大学職員の皆様と追悼のガーデンオブホープの植栽に参加
午後5時からガーデンオブホープの前での「はまだ灯2021」の準備キャンドル点灯
午後6時半より清原学長と久保田市長にご臨席を賜り黙とうとキャンドルナイトの式典
SCOT部長の尾田さんと4年学生代表の院内君に思いを語ってもらい最後に御礼の挨拶をした
事件から12年「はまだ灯」は10回目となる
そして今年は平岡都さんの13回忌の正当命日という一つの節目
ふと自身の活動もこれで終了しこれから10年20年は学生に任す方が良いと思った
それは26日の龍泉寺本堂での朝のお勤めで都さんの第13回忌のご回向をした時
「ありがとうございました」と聞こえた気がしたから
今日以前に頂いていた「感謝状」を定例会を開いていた会議室に掛けた
そしてその授与の日付が5月15日ということに気がついた
この日は日蓮聖人が龍泉寺本堂に掲げている大曼荼羅御本尊を染筆された日なのである
全てが繋がっている これからも…
1987年12月にインドのアジャンタ・エローラ石窟寺院群を一人リュックを背負って訪れた
あれから34年が経ちお寺の住職としてお経を読む時にここに座った自分をイメージする
自然とお経に力が入り読経の声がひときわ響く気がするのである
西インドのアジャンタ・エローラは釈尊亡き後に数百年に亘って岩山を削って造られた遺跡だ
ただただそのエネルギーと情熱に感服するばかりである
堂内の石を削った席の窪みに座って光の差し込む入口を見てノートにスケッチした
まさにこの地で出家比丘による上座部仏教と在家菩薩衆による大乗仏教の統合がなされ
釈尊の教えの最終章である法華経が編纂されたのではないかと勝手に推測している
だから法華経にはこの経を「受持・読・誦・解説・書写」せよと何度も訴えているのである
1日を迎え龍泉寺では月例の盛運祈願会を行っている
午後2時よりお参りの皆さんと法華経を読みお題目を唱え月守りを交換する
「今月のみおしえ」を一緒に学び今月の祈りと誓いを新たにする
しかし今日はお寺の住職として大変悲しいことに一人の総代さんが来ない
長いあいだ龍泉寺を支えて下さり去る7月25日に霊山浄土へ旅立たれた
その方は7月は1日にお参りし18日は清正公祈願法要に参詣
20日はご両親の月忌供養でご自宅に伺いお勤めをした
24日は満月の日で住職が仏堂開眼法要に出かけた折
娘さんの車に送られ自慢の服を着て一人で龍泉寺にお参りしたとのことである
突然の訃報に枕経からお通夜お葬儀そして龍泉寺の本堂での初七日法要を済ませた
翌朝28日の朝5時過ぎに境内に出ると西の空に向かって月をかすめた飛行機雲が
朝日に染まり龍の如くインドの霊鷲山にむかって飛翔していたのである
合掌
今年の梅雨明けを前に、島根県では出雲市を中心に冠水被害が多発している
数年前は浜田市でもお寺の前のアンダーパスが水没したくさんのご心配を頂いた
どうか人命被害が無いことを祈るばかりである
昨日の第2日曜日はお寺で「法華経を学ぶ」の勉強会であった
檀家さん8名の参加を頂き法華経の「分別功徳品第17」を一緒に読んだ
住職になって勉強会を始めてから27年、ようやく法華経の本当の姿が見えてきた
お話をする為に小林一郎先生の「法華経大講座」から始まり
素晴らしい書籍に出逢いながら導かれてきたが、このコロナ禍で
九州大学出身の植木雅俊先生の何冊かの本に出会えたのである
先生は中村元先生の下でサンスクリットを始めパーリ語等の言語を極められ
法華経の原本から鳩摩羅什訳の妙法蓮華経や日蓮聖人の理解の素晴らしさに言及されている
これから法華経が釈尊の説かれた教えの総括であることを多くの方に伝えたいと思う
南無妙法蓮華経
日蓮大聖人御降誕800年の嘉辰にあたり、去る2月16日の聖日に発刊された、作家佐藤賢一著の「日蓮」を読ませて頂いた。日蓮聖人伝は今まで何冊か読んでいるが、小説というものは初めてであったので、その臨場感に興味深く一気に読了した。
清澄山の旭ケ森に登る息遣いの描写から、立教開宗、持仏堂に於ける初転法輪と活き活きと描かれている。そして鎌倉に出て北条幕府のお膝元で当時の仏教各派の批判と、釈尊の真意である法華経帰依の必要性を獅子吼して被った大難四か度をご遺文の現代訳を交え、分かりやすく書かれていると感心した。
小説であるが故、西明寺入道こと前の執権北条時頼や平の左衛門尉頼綱、檀越である四条金吾頼基らがリアリティをもって登場してくるのである。さらに小説は「立正安国論」の奏進による文永八年の龍ノ口の法難と佐渡流罪、更にご赦免による鎌倉での三度目の幕府諌暁と身延への入山と描かれている。
そして、最後は立正安国論に予言された最初の元寇である文永の役(1274年)の惨状と、来るべき二度目の弘安の役(1281年)を断言される場面で終わるのである。
まだその続きを読みたい気もするが、作家の佐藤賢一氏にその続きを期待するのは酷であるとも感じるのである。というのも、日蓮聖人半生の小説の最後の場面は、身延山のご草庵で弟子たちへのご説法であった。
「かくのごとく国が乱れたときに、聖人上行菩薩が現れ、本門の三法門を建立するのです。あなた方は、それを正しく会得しなさい。さすれば、一四天、四海一同に妙法蓮華経の広宣流布されるは、もはや疑いないでしょう」との大聖人のお言葉に続き、それではそろそろ始めましょうか、
「本日は法華経における本尊について」というお言葉で余韻を残して結ばれるのである。
まさにここで云う「本門の本尊」については、御降誕800年日蓮宗の歴史の中で、身延の地で語られた日蓮大聖人の御真意を、末代の日蓮門下が正しく領解しなければならないと思うのである。
今から65年前の1956年10月14日、インドの真ん中ナグプールでアンベトカール菩薩が約50万人の人々と共にヒンズー教から地涌の菩薩として仏教に改宗しました。永い間の差別から立ち上り生命の尊厳を取り戻したのです。アンベトカール博士亡きあと、そのインド仏教再興運動を引き継いだのが、日本人僧である佐々井秀嶺上人です。現在85歳で50年以上インドで活動し今や一億人を超える仏教徒の最高指導者です。
その佐々井上人の活動の一つが、ナグプール近郊のマルセルにあるとされるインド大乗仏教の祖、龍樹菩薩の遺跡「南天鉄塔」の発掘なのです。この地方は法華経提婆達多品の娑竭羅龍王の竜宮の舞台でもあります。
日蓮大聖人は流罪の地である佐渡で書かれた「開目鈔」に
「善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く、(のうまくさんまだ・おん・ああーあんあく・さるばぼだきのう・さきしゅびや・ぎゃぎゃのうばば・そたらん・じゃく・うん・ばん・こく・ばさら・あらきしやまん・うん・そわか)この真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の真言なり。…南無の二字おけり。南無妙法蓮華経これなり。」
とお示しになっています。
佐々井上人は何宗でもありませんがお題目との深い縁を感じます。お題目は宗派や宗教そして言葉の次元を超えたものなのです。
佐々井秀嶺上人を支援する南天会のホームページ www.nantenkai.org
今年は昨日12月21日に冬至に入ったようである。
今日から一日一日と陽は長くなり春の彼岸を越え6月21日が夏至である。
コロナ禍も太陽の光増長によって徐々に退散し
太陽の最も盛んな夏至には沈静化することを望むばかりである。
日蓮大聖人は弘安4年(1281)5月15日(旧暦の夏至の日)身延のご草庵で
大曼荼羅御本尊を顕され御真筆の大曼荼羅の讃文に唯一「第一之本尊也」と記されている。
この日は2度目の蒙古来襲(弘安の役)の1週間前。
法華経有縁の国でありながら謗法熾なる大日本国を救わんがため
諸天昼夜 常為法故 而衛護 大日本国
と書かれたのであろうと推察される
後世の我々の為に大聖人が魂を込めて染筆された大曼荼羅御本尊を
蒙古調伏の為の「大日本国衛護の曼荼羅」と呼び葬り去った宗門に未来はない
「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん。龍樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり。是全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎ(摺形木)たる本尊也。」
日女御前御返事
1、大聖人の自作ならざる大曼荼羅は加工装飾なされるべきではない
2、すりかたぎたる(摺形木)とは現代の手法では写真に他ならない
12月8日はお釈迦様が菩提樹の下でお悟りを開かれた成道会です。
現代の仏教徒の原点がインド・ブッダガヤーの菩提樹の写真の場所です。
法華経の第十六の「如来寿量品」にお釈迦様のこんなお言葉があります。
Chapter 16 ”The Duration of the life of the Tathagata
「みんなは私が釈迦族の城を出て、ガヤーの王城の近く、菩提樹の下で悟りを得たと思っている。しかしみんなよく聞きなさい。私が仏と成ったのは実に数えることも想像することも出来ないほどの無量無辺の過去なのである。」(意訳)
2500年前にインドにお釈迦様として現れた方の真実の姿は、光の如くこの世界の何処にもまします久遠実成(永遠)の仏様なのです。
本日、穏やかな秋の日差しの中で宗祖日蓮大聖人第739遠忌のお会式法要を行った。
「日蓮が慈悲広大ならば、南無妙法蓮華経は万年のほか未来までも流布すべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。この功徳は伝教・天台にも超え、龍樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土一日の功徳に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是ひとえに日蓮が智のかしこきにはあらず。時のしからしむのみ。」 報恩抄
今年はコロナウィルスの感染予防で、高座説教とお昼の会食は中止。しかし、法要で拝読する日蓮大聖人の私達へのお手紙はいつも「報恩抄」である。迦葉尊者はお釈迦様ご在世の十大弟子の御一人。龍樹菩薩はお釈迦様ご入滅後の二世紀の正法時代に現在のインドの真ん中ナグプールに出現された大乗仏教の祖。天台大師智顗は六世紀の像法時代の中国に出たお釈迦様の仏教を纏められた高僧。そして伝教大師最澄は平安時代に日本に天台宗を伝え比叡山を開いたのである。
末法の始め、比叡山で修行研鑽された鎌倉新仏教の開祖たちにより現在日本の宗派仏教という現実がある。そのことを否定するわけではない。それぞれが素晴らしい教え導きである。では釈尊が最初に道を説き、龍樹・天台が本論を説いたと仮定すれば、誰が仏教の結論を説くのであろうか。日蓮仏教という呼び方がストンと腑に落ちてきた。
明日18日は当山の守護神講である
お経にはたくさんの神々が仏の周りに集まり
仏法を求め仏法を弘めんとする人を守護する
そのお一人が法華経の信仰に生きた加藤清正公である
例年であれば清正公(せいしょうこう)夏祭りとして境内で石見神楽による
「清正公の虎退治」をはじめ「鍾馗」や「八岐大蛇」などの奉納で賑わうが
今年はコロナウィルスの影響で夏祭りは中止となった
そこで大曼荼羅御本尊の前に清正公の像を安置して法味を言上する
この大曼荼羅は弘安4年5月15日に日蓮大聖人が顕された御真筆の写しで
つい先日に御宝前に奉安することが出来た貴重な大曼荼羅である
この御本尊の添え書には加藤清正公から藤堂高虎公に託されたとある。
と云うことで明日はさぞかしお慶びの事と思う次第である。
法務アローンは住職としての日記なので、取り留めのないことを綴ることをお許し願いたい。
1987年11月11日、当時30歳の時にインドを放浪しパトナーから路線バスで釈尊ご入滅の聖地クシナガルを訪れた。その時に明治時代の田中智學居士の高弟である山川智應博士が設立した本化妙宗のお題目の宝塔が目に飛び込んできた。中に入るとビロドという少年が留守番をしていたのである。
時は流れ昭和から平成そして令和元年の6月に一冊の本が贈呈された。曰く「一大事因縁の仏法」。そこで日蓮宗の教師となって30年目に「本尊」について勉強し直すにあたり導きとなったのが某研究室で頂ていた山川智應博士講述の「本門本尊論」なのである。
日蓮大聖人は佐渡始顕以来123幅程の御真筆の大曼荼羅が確認されているが、大正元年に京都で発見された大曼荼羅は一度宗宝となるも現在はその所在さえ明らかにされていない。いわゆる「大日本国衛護の御本尊」と呼ばれ日蓮宗からは抹殺されているのである。
ところが山川智應博士によると、この大曼荼羅は紛れもなく日蓮大聖人の御真筆であり「日蓮聖人研究」第二巻にその素晴らしさを詳述されている。然しながら国柱会の田中智學居士は佐渡始顕四聖帰命の真筆不在の大曼荼羅を御本尊と定めているのである。
「本門の本尊」という日蓮大聖人の真意は必ず示されると信じて龍泉寺の御宝前で南無妙法蓮華経のお題目を唱える日々である。
『ブッダとそのダンマ』再刊に寄せて 佐々井秀嶺
大体これにてアンベードカル菩薩著『ブッダとそのダンマ』に対する私の―南天竜宮沙羯羅竜王具足の摩尼宝珠が燦々として光明を放って『ブッダとそのダンマ』に祝福を送り、白蓮華の純白の花々を降り注いでいるその『ブッダとそのダンマ』の再刊を喜んでペンを置きたいと思う。
2004年7月3日記 首都ニューデリーに於いて 70歳の砌
かく云う自分は31歳の時、インドのお寺への派遣を断念して31年の時が経過しました。そして、1993年より龍泉寺に奉職し2008年に「龍珠会」を立ち上げネット上で法華経・お題目の布教を自分なりに模索し続けてきました。しかし、真の地涌の菩薩たらんとするなら今こそ行動に移らねばなりません。
2020年6月4日、龍珠会で自分に何が出来るかを思う。
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